投稿者:ジョーカー 投稿日:2018年12月 7日(金)23時54分54秒   通報
池田大作全集71巻 P88より

「昭和二十九年二月の本部幹部会では、戸田先生は次のように指導された。
『わが学会は、和合して、広布へ、日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを破ろうとするものは、かならず仏法の大きな罰をうける。もし破ろうとするものであるならば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。絶対に出来ぬ。
われわれは和合僧なりと、心から叫ぶ団体である。幹部は結束してこれにあたっている。そして破るものも悪いが、これらのもののみだけでなく、破られたほうにも(罰が)ある。これはみなさんの心に、深く気に留めなければならぬ。確固不動の信心を求めるしだいである』」

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54年は、「三代会長を守れ」との戸田先生の御遺命にもかかわらず、悪に牛耳られ、弟子(中枢)たちは、無惨に敗北した。この罪は決して軽くはない。創価の師弟は、師が弟子を守るのではなく、弟子が師を守るところに真髄がある。それにも関わらず、すべての責任を師に負わせてしまった。これ、師弟なきが故である。そこから師の、本門の池田門下を育てる戦いが始まったのだ!

栃木の久保田様
五老僧が、日興上人に対し、「自分の方が格が上だ。日興上人につく必要はない」と侮ったのと同様、池田先生も侮られていたのかもしれません。その本質は、増上慢であり臆病です。側近には、師匠ではなく、兄弟弟子くらいにしか思われていなかったのではないか。そこがそもそもの間違いなのです。54年を生み出したもの、それは五老僧と同じ生命であり、歴史は繰り返されたのです。