投稿者:ジョーカー 投稿日:2018年11月20日(火)22時53分47秒   通報
池田大作全集69巻 P527より

「私は、あるとき“できるだけ早く会長を勇退したい”と、彼らにもらしたことがあった。以来、山崎某一派は、私が会長を勇退する時を、ずっと待っていた。
しかし彼らは、自分たちがその後の学会の実権を握れそうもないことも、だんだんとわかってきた。そこで、宗門と学会の両方に影響力を行使できる新しい位置をねらった。彼らはマスコミを使い、また宗門から学会を攻撃させ、両者の離反作戦に入った。そして、宗門、学会の間に入り、両者をたくみに操り、利用しながら、自分たちの実権を固めようとした。
私はその動きを早くから見破っていた。しかし北条理事長をはじめ皆、繁多であったこともあり、どうもおかしいと思っていながら、そのまま流されてしまったことが、今は残念でならない。」

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おかしいと感じながらも、何もしなかったこと。これが54年の先生の側近の一念であり、敗北の因ではないか。人はなぜ、こうも傍観の一念となってしまうのか。もしも、戸田先生が会長で、池田先生が理事長であったならば、ありえない失態であろう。

傍観者が増えれば増えるほど、魔は喜び、勢いを増す。54年も、傍観した側近の、時流に流される惰弱な一念につけ込み、極悪にやりたい放題荒らされた。ざぞ、残念無念であったことに違いない。やはり、おかしいと思ったことに対しては、自分のアンテナを信じ、真実(納得)にたどり着くまで追究していくべきである。

心から納得できてこそ正義である。おかしいがクリアにならなければ嘘である。皆が納得できる道こそが中道であり、創価の本来のありかたである。