投稿者:ジョーカー 投稿日:2018年11月13日(火)06時53分50秒   通報
池田大作全集69巻 P184より

「私が会長職を勇退したのは八年前、昭和54年である。五月三日のバトンタッチの儀式は、場所も同じ、この創価大学の中央体育館が会場であった。勇退の折には、多くの方々に、ご心配をかけたり、寂しい思いをさせてしまったかもしれない。しかし、会長職を次に譲ることは、その十年も前から考えていたことである。むしろ私も、私の妻も、ほっとした思いであった。
私は内心、『さあ、これからだ』と決意していた。縛られていた獅子が、いよいよ自由になったのだ(拍手)。これから、思う存分に、走り始めよう。全世界の広宣流布の荒野を切り拓いていこう。学会を守り、すべての仏子を守るため、厳然と、自在に戦っていこう。こういう決心であり、一念であった。その心を知る者は当時、だれもいなかった。
私は、第四代となった北条会長を激励した。寂しく思ってはならない、これからが、いよいよ本格的な前進の時代に入っていくことを忘れてはならない、と。」

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ふがいない弟子の集まりの中、会長を辞めさせられようとも、師の心を折ることは出来なかった。弟子は敗北したが、師は厳然と勝利し、新たな広宣流布の流れをつくった。師は、54年を見事に宿命転換したが、肝心な弟子はどうであろうか。いまだに師に、尻拭いをしてもらっただけの状態であることを認識せねばなるまい。

創価の師弟観は、師が弟子を守るのではなく、弟子が師を守るところにある。牧口先生のことは戸田先生が守り、戸田先生のことは池田先生が守られた。では、池田先生のことは一体誰が守るのか。それはもちろん、本門の池田門下の役割であることは言うまでもない。

子路様
一日一投稿を目標にしています。新聞等では載せない、先生の珠玉の指導(幹部に厳しい等)を紹介していきます。時間の都合上、コメントは少なめですが、思索のきっかけになれば幸いです。