2018年3月20日 投稿者:アルベア 投稿日:2018年 3月20日(火)06時56分7秒 通報 「獅子は伴侶を求めず」3 なぜ、大聖人は「師子王」という表現をしたのでしょうか?それは「譬え」として当時の人々に 伝えやすかったからなのです。わかりやすかったから用いた表現なのです。 信心の姿勢は、絶対勝利の気概でいかなければ自身の確信が得られない事を示されているので す。 「確信」とは「体感・体験」を意味します。 古今東西の賢者・覚者に見られる世界観に「一人称世界」である事があります。慈悲の体現者と しての振る舞いが一人称の世界をもたらせているのです。 信心には期待・依存という弱気・弱音(伴侶)はいらないのです。なぜならば期待・依存するか ら裏切りを感じるのです。期待・依存からの脱却が自身の成長となるのです。 Tweet