2017年7月23日 投稿者:まなこ 投稿日:2017年 7月23日(日)08時02分38秒 通報 4 日本とイギリス (1)民主主義 【池田】 イギリスと日本は、歴史的、地理的にいろいろな点で共通するものをもっています。日本人はこれまでもイギリス人から学んできたものが少なくありませんし、これからも学ぶべきことは多いと思います。たとえば、政治体制については、両国はともに立憲君主国であり、イギリスの王室も日本の天皇家も、おそらく世界で最も安定した君主だろうといわれております。 しかし、イギリスと日本では大いに異なる点も、もちろんあります。たとえば、イギリスでは民主主義と自由の思想が長い歴史の試練を経て、深く国民のなかに根をおろしているのに対して、日本の場合はわずか四半世紀の歴史でしかありません。しかもそれらは、日本人が自らの力で苦闘のすえに勝ち取ったものではなく、第二次世界大戦の敗戦の結果としてアメリカから与えられたものです。日本の風土のなかから自然に生まれたものではなく、また、土壌が整えられておのずから育ったものでもありません。いわば“つぎ木”のようなものです。つまり、民主主義や自由主義と、それらにとって不可欠ともいうべき人々の伝統的な考え方や意識との間に、大きい断層があるわけです。 【トインビー】 英米型の立憲政治は、いうまでもなく長い地域的歴史の発展がもたらした、英米固有の、しかもある程度幸運な産物です。したがって、この英米型立憲政治にそれまで馴染みのない国々が、これを模倣してその通り運用するのが容易でないからといって、驚くにはあたりません。中世的な諸制度ではイギリスときわめて共通点の多いフランスでさえ、イギリス的立憲政治の運用には困難を感じているのです。 【池田】 なるほど、しかしここでは論を進めるため、日本で最も理想的な形の民主主義を打ち立てるために、われわれ日本人がイギリスから学ぶべきことは何か、という点についてお聞きしたいと思います。それにはさまざまなことがあると思いますが、私は、最も根本的なことは個人個人の主体性、自立性の確立であろうと考えています。このことは、イギリス人からみれば当然すぎることかもしれませんが、日本ではまずこれが実現されるべきであるにもかかわらず、忘れられてきたのが実情です。これでは、私は底のないカメを作っているようなものだと思うのです。 【トインビー】 私の考えでは、イギリスで議会制立憲政治が比較的成功しているのは、次のような要因によります。 第一に、十七世紀に政治的暴動への反動が起こって以来、意図的に政治的穏健主義がとられたことです。第二に、二大政党制によって、議会活動の組織的運営がなされたことです。もっとも、これには党による個々の議員の統制という、高価な代償がつきまといます。今日、選挙民は秘密投票になっていますが、議員のほうは公開投票をしなければなりません。党の路線に沿った投票をしなければ、議員は党の懲罰をうけます。これは、産業労働者がストライキに参加しないと組合の懲罰をうけるのと同じです。第三に、二大政党間に暗黙の了解があり、基本的な問題については互いに一党派の利益のための策略を用いず、国家利益をまず優先させることです。第四には、政治的対立と個人的な好意や友情は両立する、という認識があることです。 ただし第二次大戦以後は、三番目と四番目にあげたイギリスの伝統が崩れ去ろうとする、不穏な兆候がみえてきました。たとえば、労使関係に関する立法や、欧州経済共同体(EEC)加盟問題などについて、その兆候がみられます。 イギリスの政治機構のはたらきよりもさらに根本的な次元からいえば、私は、イギリス国民が過去三世紀間にわたって個人の自由を維持してきたのは、次のような伝統によるのだと思います。つまり、市民一人一人が、大義を問われる問題で立場を明らかにするときは、身の危険をも顧みず、さらに必要とあらばわが身を犠牲にするという、道義上の義務感を身につけているためです。 これは第二次大戦後のイギリス人とドイツ人の討論会でのことですが、私がかつて学問の自由の問題で教授職を辞さざるをえなくなったことを話したところ、ドイツの人たちは驚いた様子でした。私は、イギリスの社会生活を多少なりとも説明するための例として、なにげなくこの出来事を話したにすぎず、これぐらいのことは当然と思ったのですが、彼らはたいへん啓発されたといっていました。彼らは、イギリス人がもっている個人の自由は、ひとえに神々の恵みによるものと考えていたというのです。それまで彼らは、この個人の自由のよってきたるところを究明しておらず、また、それが、じつは、一人一人の努力によって初めて維持されているということについても、認識がなかったのです。私は、自由が個人の努力によってのみ得られるというこの点は、きわめて重要な点と考えます。 Tweet