投稿者:まなこ 投稿日:2017年 7月19日(水)08時04分48秒   通報
2 アメリカ合衆国
(1)“フロンティア精神”

【池田】 アメリカにとって、べトナム戦争の敗北は、たんに政治的、軍事的敗北にとどまらず、道義的敗北でもあったことが指摘されています。もしアメリカがこのことに気づくならば、それはアメリカの今後にとって非常に大きい意味をもつことになると思います。
私は、これまでアメリカがその基本精神としてきたものは、いわゆる“フロンティア精神”だったと思います。それはヨーロッパのように狭い地域に多くの国と大勢の人間が協調し合って住まなければならないのと違って、他の人間の存在、すなわち先住民を顧慮することなく、自然に挑む精神であったといえましょう。それが他の国や民族を相手とする次元に入ったとき、いわゆる大国の“我”を押し通そうとする、強引さとなって現われてきたのではないかと考えられます。
ベトナム戦争の敗北は、このような基本姿勢の行き詰まりを意味するものとも思われます。

【トインビー】 かつて長い間、アメリカ人は他の領土に対する姿勢において、えてして人間の存在そのものを見失いがちな傾向をもっていました。まだ北米大陸が野生動物と森林と砂漠だけの、無人の荒野だった頃のことを考えてみても、彼らはその先住民に対して何の考慮も払わず、あたかも動物か植物の類いであるかのように扱ってきました。こうした精神、すなわちフロンティア精神をもってアメリカはその方針とし、ベトナム問題の処理にも適用したわけです。ベトナム人が決して動植物の類いではなく、アメリカ国民とまったく同じ人間なのだという発見は、彼らに大きなショックを与えました。ベトナムでの敗北は、まさに道義上の敗北だったのです。アメリカ人にとってもっと大事なことは、これはアメリカ人が心に銘記すべき一つの教訓だったということであり、私もそうあってほしいと願っています。
しかし、これについては、われわれヨーロッパ人も決して大きなことはいえません。ヨーロッパ各国の相互関係は、必ずしもそれほど協調的なものではなかったからです。言語と宗教の異なる諸民族間の調和はスイスの特徴ですが、すべてのヨーロッパの国々がそれに成功してきたと誇れるわけではありません。たとえばベルギーでは、現にフランス語とフランダース語の拮抗が原因となって、深刻な問題が起こっています。このようにヨーロッパ人も、相互間の調和という点ではうぬぼれるわけにはいかないのです。もっともアメリカのフロンティア精神に匹敵するほどのものがないことは、御指摘の通りです。

【池田】 自国内の異民族との調和に必ずしも常に成功しなかったということについては、おそらくどこの国も例外はないのではないかと思われます。かつては失敗の連続であったのが今日では調和に成功している場合もあれば、その反対に、かつて成功していたのにいまはむしろ失敗している例もあります。
日本における朝鮮人問題は、この後者の例です。古代、中世において、朝鮮の人々は文化的先進国民として歓迎され、日本人のなかに調和していました。日本人が朝鮮人に対して軽蔑的な態度をとるようになったのは、とくに近代に入ってからです。それは第二次大戦後の今日も、かなり改善されたとはいえ、完全に解決されたわけではありません。
しかしアメリカの場合、とくに問題になるのは、そうした偏見が国際政治のうえに非常に強く反映されていることです。アメリカが、国際政治のうえにずばぬけて強大な力をもっていることが、この影響性を一層顕著にしているともいえますが――。

【トインビー】 たしかにフロンティア精神とその陰にある偏見とが、アメリカをしてそれらを国際政治の場に投影させ、アメリカの間違いを大きくしてしまったことは事実です。私は、やがてアメリカは、東南アジアにおいてフロンティア精神を棄てざるをえなくなるものと考えます。フロンティア精神のもたらす悲惨さはベトナムで明らかになりましたし、カンボジア問題では、そのことが大統領と議会の間に論争を生みました。

【池田】 そこで私がアメリカについて感心するのは、政府が横暴であっても、国民の間に必ず良識の声があるということです。もちろんその反対のこともありますが、いずれにしても、言論の自由がよほどの場合でも厳守されており、権力者だからといって反対者の声を封じない――これは非常に重要な点であり、私はそこに希望を託しております。

【トインビー】 ええ、それはおっしゃる通りですね。ところで、フロンティア精神の話に戻りますが、さきほど私は、東南アジアについては、アメリカは態度を改めることになるだろうという予測を述べました。しかし、イスラエルの場合は、いくつかの理由から、様相を異にしています。
皮肉な見方をするならば、アメリカに住むユダヤ人の票が、アメリカの政治家たちの行動を大きく左右していることの重要性と、不運な特性を認めざるをえません。第二に、これは私のような合理主義者には奇想天外とも思えることですが、しかし否定できない事実として、イスラエルこそまさしく『旧約聖書』にうたわれている“約束の地”であり、したがって当然ユダヤ人のものであるという信仰が、アメリカ宗教界の一部にあります。こうした意見をもつグループは、古いタイプの、いわゆる聖書主義派のクリスチャンですが、アメリカにはこういう人々がたくさんいるのです。
最後の理由として、アメリカ人はイスラエル問題にフロンティア精神をもって対処しています。つまり、優秀なユダヤ人に比べれば、アラブ人は何の権利もない民族である、とアメリカ人はみなしているわけです。これは、彼らがかつてアメリカ・インディアンに対して抱いていた考え方と同じものです。アメリカの援助があるかぎり、イスラエルは、アラブ諸国との公正な互譲的和平を結ぶことに抵抗できるでしょう。しかし、奇妙な幸運のめぐりあわせで、アラブ諸国は駆け引きのための力を発見しました。たまたま世界最大の石油埋蔵量をもっていたことです。世界の他地域はどこでも石油が乏しくなってきております。したがって問題は、アメリカがイスラエルのためにすすんで自動車を犠牲にしたり、暖房をあきらめたりするかどうかなのです。
現在、アメリカもソ連も相互間の関係を改善し、冷戦に終止符を打とうと懸命になっています。しかし、中東に危険があるかぎり、この両国の意志に反して、いつ戦火が上がらないともかぎりません。中東問題の解決はすべての人にとっての関心事ですが、それにはまずアメリカが、イスラエルとアラプに対する現在の感情的な、そして私からみれば不合理な態度を改めることが先決です。このアメリカの態度の変更には、少なくとも場違いなフロンティア精神の発揮を改めることが、明らかに必要です。