投稿者:まなこ 投稿日:2017年 6月 7日(水)08時03分4秒   通報
【トインビー】 そして、そのためには、医者は冷静な技術者であると同時に、情け深い、思いやりのある友人でもなければなりません。しかし、愛情深さと冷徹さとを一つの心に同居させることは、はたして可能でしょうか。この疑問に対して、一神教的宗教の信奉者たちは、次のように答えるでしょう。すなわち、医師は神への愛のために仕事をすべきであり、そうすることによって、普通ではおそらく相容れない、それら二つの感情をあわせもつことができる――と。
中世におけるキリスト教の病院は、聖者たちのために献納されたものです。またローマ・カトリックの尼僧たちは、病人を看護することによって神に仕えたのであり、それはいまも変わりません。今日、西洋では新教国にあっても旧教国にあっても、看護婦という世俗職業はすべて、もともとは、カトリック系のいくつかの教団が行なっていた看護婦業に端を発するものです。今日の非宗教的な看護婦が着る制服にも、またイギリスで看護婦を呼ぶのに“シスター”という呼称が使われていることにも、この職業の歴史的起源の名残りがとどめられています。
また、キリスト教以前のギリシアにおける医業は、ギリシアの治療の神アスクレーピオスに捧げられたものでした。

【池田】 医師の倫理観のよりどころとして、そういった何らかの宗教的信念が必要であったことは、非常に重要な一点ですね。
医学界では、さきほどふれた現代医学のジレンマを乗り越えるためにも、ヒューマニズムの確立が叫ばれています。
欧米キリスト教文明においては、信仰がそうしたヒューマニズムの土台になっていたのですが、今日では、その信仰自体が崩壊の危機に瀕しています。ここで、私個人の考えを申しますと、医師が医学の基盤に仏法の“生命の哲理”をおくことによって初めて、医師の倫理観喪失という問題に抜本的な解決をみることができるでしょう。真のヒューマニズムとは、生命の本質と人間性への明晰な洞察を基盤とすべきものであり、そこに立脚した信念によって初めて強固に支えられるものだからです。

【トインビー】 あなたは、西洋キリスト教の今日の衰退を示され、それに代わる医学への新たなインスピレーションが仏教のなかにあるかもしれないと述べられました。私も同じ考えから、人間の生命に対して、また人類の生存の場であるこの宇宙に対して、何らかの宗教的ないしは哲学的な見解、態度をもたないかぎり、いかなる人も精神的、倫理的に十分適格な医師にはとてもなれないだろうと思います。