2017年5月26日 投稿者:まなこ 投稿日:2017年 5月26日(金)08時18分2秒 通報 【トインビー】 一般に、表現の自由が拒まれるについては、二つの異なる動機があります。一つには、イデオロギー上の正統性を維持しようという配慮です。これは、キリスト教であれイスラム教であれ、マルクス主義であれ資本主義であれ、他の何であれ、当てはまることです。もう一つは、社会の倫理的水準を維持しようという配慮です。 教理上の理由に基づく検閲は、まぎれもなく、文学を枯渇させるだけの効果をあげています。したがって、私の意見では、それはいかなる事情のもとでも、決して正当化されるものではありません。しかしながら、こうしたイデオロギー的検閲はやりやすいものです。ある思想や感情の表現が許されうるか否かの決定は、すべて全機能をもつ独裁政権とか教会当局とかの厳命によって行なわれるからです。 これに対して、倫理上の理由による検閲は、もっと面倒な問題を提起します。性的な乱交や倒錯、麻薬使用、アルコール中毒、暴力行為などへの傾斜が内密に煽られたり、ラジオやテレビを通じて煽られるのを、すべて放任すべきだと主張する人はほとんどいないでしょう。たいていの大人は、腐敗堕落的な影響をもつと思われるものに青少年をさらすことは、許されるべきでないと考えるものです。しかしながら、実際に腐敗堕落的なものは何なのか、また許容か規制かの境界線をどこに引いたらよいのか、ということになると、一致した意見はありません。そのうえ、どんな規制も逆効果となりかねない、という議論も成り立ちます。制限を加えることによって、かえって好奇心が煽られたり、反対意見を起こしたりするからです。 【池田】 文学は時代の精神であり、社会を映す鏡でもあります。したがって、現代のような価値の多様化の時代にあっては、さまざまな方向に分岐するのは当然のことかもしれません。ポルノ文学やフリーセックスを扱ったものが受け入れられているのも、その意味では、現代人の意識の変化を反映するものともいえましょう。 しかし、このような傾向が長続きするとは、私には思えません。なぜなら、そうした欲望の充足は一時しのぎにすぎないからです。やがて大衆は、見向きもしなくなるでしょう。もちろん、それが青少年を堕落させ、社会を混乱と無秩序に導く悪影響を与えるとの判断から、倫理的、道徳的な面の検閲を強化すべきであるという意見もあります。いや、それがこれまでの支配的な思考法であったといえるでしょう。 しかし、これに対しては、私は、表現の自由はあくまで保障されなければならないと考えます。 いかなる理由によるにしても、ひとたび権力による検閲を許せば、それが突破口になって、思想、信条、信教の自由にまで手が伸ばされることは、歴史の証明するところです。 【トインビー】 いかなる体制にも、体制外の宗教、哲学、イデオロギーの抑圧に、その権力を用いる権限は道義上まったくありません。 全体主義的風土にあっては、宗教にせよ芸術にせよ、体制者の目から正統ではないとみなされたものは、花を咲かせることができません。こうした風土のなかでは、正統派の文学や芸術までも立ち枯れてしまうことがあります。体制からの抑圧や審問がひどいと、正統派の作家や芸術家でさえ検閲にひっかからないよう、そうした危険を避けることをまず考えなければなりません。こうした懸念があると、創造力を発揮させる条件としての自発性を殺してしまいます。 しかしまた、同時にいえることは、全体主義体制のもとでいくつかの偉大な文学作品、芸術作品が生まれたことも、歴史上の事実だということです。たとえば、西暦四世紀から十七世紀にかけてのキリスト教諸国や、より近代に至るまでのイスラム教諸国の体制が、これに該当します。 つまり、詩人なり芸術家なりが、支配的なイデオロギーに完全に同調し、それによってもはやじっとしていられないほど啓発されている、ということもありえます。この場合、全体主義体制のもとで生活し、仕事をしておりながら、当人としてはそこからの束縛を一向に感じていないということでしょう。自分が制約を感じていないかぎり、その人は精神的に自由なわけです。 ダンテは、当時の西洋キリスト教世界に異端の徒がいて、罪を負わされ死刑に処せられていたことを、まぎれもなく知っていました。しかし、おそらくダンテは、異端者に対するこうした処置は正当なものであり、当たり前であるとみなし、もしも自分が異教徒であったなら、などとは夢にも思わなかったことでしょう。ダンテの例にみられるこうした精神状態は、たぶんキリスト教教会のために絵画を描き、彫像や図像を彫った芸術家たちにも、また儀式用の音楽を作詞、作曲した音楽家たちにも共通するものであったはずです。もしダンテが、全体主義的体制下に生きていること、したがって自由人でないことを知らされたなら、彼はきっと真剣になってそのことを否定したことでしょう。 ひとくちに全体主義体制といっても、その抑圧の程度にはもちろん差があります。ヒンズー世界や東アジアの観察者の目から見たなら、中世キリスト教世界は全体主義的と映ったことでしょうし、その判断も正しかったことでしょう。ところが、ダンテにしてみれば、すでにそのなかでも十分に精神の自由をもっていたことになると思うのです。つまり、ダンテが、もしキリスト教以前のイタリアとか、彼の時代のインドや東アジアなど、宗教が数多く並存し、しかも宗教的理由による迫害がほとんどなく、あっても比較的穏やかな地域に生まれた詩人であったなら、それはそれで彼も精神的に自由だったことでしょう。しかし、中世キリスト教世界にあっても、彼はなおそれに劣らぬ精神の自由を享受していたのです。 ところが、これに対して十九世紀ロシアの作家たちの場合は、ロシア帝政の抑圧主義を意識し、それによって影響されていました。さらに、現ソビエト政権下にあって、体制化した共産主義信仰の熱烈な信者が、中世西洋のキリスト教詩人ダンテの場合と同じく、まったく自発的に、しかも自らの頭上低く垂れこめる全体主義的不寛容の暗雲には何らの不安も感じることなく、マルクス・レーニン主義の理論と神話を崇高な詩に託して表現するなどということは、想像しがたいことです。 マルクス・レーニン主義体制のもとにあっては、精神的自立の代償はまぎれもなく弾圧となります。現在の共産主義諸国の圏外においても、もし今後、人類の無秩序な混乱状態を安定化に導くのに必要な機関として、世界的な全体主義政権が現われることになれば、その時は、精神的自立の代償として弾圧が加えられることになるでしょう。 ギリシァの詩人アイスキュロスは、適切無比な二語(ギリシア語)で「学習は苦悩から生まれる」といっています。ダンテの場合も、その苦悩の体験が、たしかに彼の詩の一つの源泉になっています。もっとも、ダンテの苦悩は、全体主義的な教会制度から受けたものではありません。そこでは彼はまったく自由に生き、感じ、考えていました。しかし、彼は恋に破れ、さらに故郷の都市国家から追放されたのでした。もしダンテがこの二重苦を味わわなかったとしたら、あの『新生』や『神曲』は決して生まれなかったでしょう。 【池田】 ダンテが全体主義的な中世のキリスト教世界にあって、何ら抑圧を感ずることなく精神の自由を謳歌していたというのは、彼が時代に合致した強い信仰心をもっていたからでしょう。 このダンテのような場合には、創作にあたっての主要な動機が、実際的な社会的目標の達成でなかったことは確かです。しかし、十九世紀ロシアの作家たちの場合には、そうした打算的なものが、彼らの創作活動の大きな目標となっていたわけです。実際に、彼らのうちの何人かは、自らの社会的使命が不毛に終わることを知って、ニヒリストになっています。 この傾向は、現代にも通じるものであり、多くの作家が、文学によって飢えた人々を救いえないとして、ニヒリズムに走っています。私は、彼らが虚無的、厭世的な諦観に陥っていることのかげに、文学・芸術がきわめて内省的な傾向に走っていることを指摘しなければならないと思うのです。 Tweet