投稿者:まなこ 投稿日:2017年 5月22日(月)07時31分45秒   通報
◆ (3)教育の資金源について

【池田】 残念なことに、現代においては、教育は国家権力の支配下におかれ、国家が追求する目的に、教育行政が従属している実情にあります。とくに、教育の淵源ともいうべき学問研究自体が、国家権力と密接な関係におかれています。
これは、研究が巨額の費用を要するため、国家権力の支援なくしては思うままに研究を進められない、という事情にもよります。その結果、国家利益に直結する分野の研究が過分に優遇され、国家利益と結びつかない分野、あるいは国家利益に不利な意見をもつ研究者は、不当に冷遇される場合がままあります。
こうした学問.研究の世界の実情は、そのまま教育界にも反映されています。つまり、国家利益に結びつく分野の教科が重視され、そうでないものは軽視されるわけです。また教科書の内容に不当な干渉がなされることさえあります。こうした事情のもとでは、全き人格育成という理想は踏みにじられ、歪められた人間像をつくってしまう恐れがあります。私は、この点を大いに心配するのです。

【トインビー】 教育への融資、コントロール、指導などを国家に独占させるのは、好ましくないことです。国家は、権力を増大させてくれそうな研究分野に補助金を出したがるからです。国家はまた、そのようにして公的な融資や統制を受ける教育に対して、イデオロギー上の歪曲を加えようとしがちです。これは、学生たちを体制側のイデオロギーの支持者にするためです。
教育が公的財源の補助を受けることには、もちろん利点もあります。たとえば、すべての少年少女たちに均等な機会が与えられることです。今日のイギリスにも、貧しい家庭の出身ながら、公的な補助金制度のおかげで最高度の教育を受けた人々が、あらゆる職業の指導層に何人もいます。

【池田】 教育の機会均等という面から考えると、たしかに、教育費を全面的に個人の負担にすることはできません。したがって、国家あるいは公共自治体が、その財源から教育を援助するという方式をとることは、やむをえないことだと思います。ただし、その教育内容に干渉したり、または間接的にせよ教育に偏向をもたらすような施策は、とられてはならないと考えます。その意味で、援助の方法がどういう形で行なわれるかという問題が重要ですね。

【トインビー】 イギリスでは、第一次世界大戦以後、公共資金で運営されても政府のコントロールは受けないという、半官法人が設立されてきました。これらの法人は、自治体が管理します。その一つに大学補助金委員会があり、これが現在、イギリスの大学基金の大部分を供給し、配分しています。現在、大学基金のうち、学生の納付金や民間の寄付金が占める割合いは、ほんのわずかにすぎません。
この半官法人の意図するところは、政府が財力を使って半官法人の方針に干渉するのを差し控えさせることにあります。これまでのところは、この意図もおおむね実行されてきています。しかし、長い目でみた場合、大学補助金委員会やその他の半官法人――たとえば、重要な教育機関でもあるBBC放送――の自治性を、今後とも議会が尊重し続けるかどうかを論ずるのは、時期尚早です。
こうしてみると、半官法人という仕組みも、まだ明らかに不確かなものであるわけです。したがって、十分に確実な恒久的基盤の上に教育を独立させることが大切です。そのためには二つの条件が必要だと私は考えます。すなわち、まず、国家や企業のコントロールを受けない恒久的な財政基金であり、次に、誰がみても高い倫理的・知的水準にあって、そのため誰からも尊敬され支持されるような教職スタッフ、教育行政スタッフです。
このような基金には、撤回不可能な形での寄付金をあてるのがよいでしょう。つまり、贈与者は、寄付金を提供するにさいして、本人もその相続人も、基金の管理運営に口出しする権利は一切放棄するという、法的拘束力のある誓約をするのです。アメリカの民間財団にあっては、このことが研究と教育の向上を図るうえでの原則となっています。またこのやり方は、アメリカ政府が大学に土地の無償払い下げをするさいの原則でもあり、そうした無償地が州立の総合大学、単科大学の財政源の一つとなっています。
土地は、永久基金の形態としては最良です。地価の変動は貨幣価値に反比例しており、貨幣価値は、現在のように高度のインフレが速いペースで進行しているときでなくても、下落する傾向にあるからです。私が一九〇二年にウィンチェスター校で得た奨学金は、この大学の創立者が一三九五年に寄付した土地からの収入でまかなわれていました。
私は、あらゆる国のあらゆる教育機関が、撤回不能の土地の寄贈を受けて、学生の学費を安く、教職者の給料を高く維持できるようになってほしいと思います。これによって初めて、国家や大企業によるコントロールからの自由が保証されることでしょう。
教育機関は、あくまで完全な自治的機関でなければなりません。教育法人の規約には、教育行政スタッフや教職員だけでなく、小中学校の場合は両親、高校や大学の場合は学生を含め、それぞれの代表からなる代議制を規定すべきです。また、教育は社会全体が重大な関わり合いをもっている社会活動ですから、一般大衆からの代表も出すべきでしょう。このような多様な参加者がそれぞれもつ権限によって、教育方針の作成とその実施が決定づけられることになれば、それこそ多くの議論が交わされることでしょう。これは、この問題に関する、最近の世界中での論争が示す通りです。