2018年2月20日 投稿者:一人のSGI 投稿日:2018年 2月20日(火)18時46分18秒 通報 他の御書にも九識について書いてあります。 「妙法蓮華経は九識なり、十界は八識已下なり」 御義口伝 p714 ここまで読むと「妙法蓮華経」と「第九識」とは同じであることが分かります。 更に云えば「仏界」の生命でしょう。 そして、それを具現化したのが、事の一念三千の御本尊です。 しかし、ここで少し疑問が沸きます。 上記の九識の説明の所で、九識は八識のような染浄含蔵(けがれているのと清いのとが一緒になっている)の宿業の蔵ではないといっています。 しかし、同時に九識は「妙法蓮華経」であるなら、「蓮華」という因果の法則を秘している事になります。 ということは、此の蓮華の因果は通常の八識のような因果ではなく、根本浄識である仏界に由来する「因果」という事になります。 これについて、御書にはこう書かれています。 此の釈の意は至理(しり)は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す 此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して 闕減(けつげん)無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり 当体義抄 p513 天台大師の法華玄義巻七下の意味は、妙法の至理には、もともと名はなかったが、聖人がその理を勧じて万物に名をつけるとき、因果?時の不思議な一法があり、これを名づけて妙法蓮華と称したのである。 この妙法蓮華の一法に十界三千の一切法を具足して、一法も欠けるところがない。 よってこの妙法蓮華を修行する者は、仏になる因行と果徳とを同時に得るのである。 聖人は、この妙法蓮華の法を師として修行し覚られたから、妙因・妙果を?時に感得し、 妙覚果満の如来となられたのである。 Tweet