2018年2月20日 投稿者:一人のSGI 投稿日:2018年 2月20日(火)18時39分13秒 通報 編集済 >因果律「蓮華」とはまた別の生命流の回転軸です。< これについては、どのことを言われているのかはっきり分かりませんが、 とりあえず私の考察を書きますので、ポイントがずれていたらお知らせ下さい。 九識論から説明したら分かりやすいと思うので、その中の第八識と第九識のそれぞれの因果について書きます。 そして私は、第八識は「常の因果の領域」「因果異時」、第九識は「大いなる因果の領域」「因果倶時」ではないかと思っています。 第八識は説明する必要はないと思いますが、簡単に言えば、「常の因果」と言われる通常の因果「身、口、意」の色心に渡る行いが作る業が、その原因に見合った結果を生む潜在的エネルギーとなって蓄えられる領域です。 過去の行為が生死に渡って続いていくのは、善業なら良いのですが、それが深い負のエネルギーを持つ悪業なら、その影響が長い期間、人生を苦しみの色に染めます。 悪業を除こうとして善行を積み重ねても、すぐに煩悩などに負けてなかなか境涯革命ができません。 つきつめてみれば、境涯革命ができてないこと、つまり、無明に負けているその生命が悪業の循環をぐるぐる回っている本当の原因です。 そうしてみると、「境涯革命」、、これが究極的に八識における宿業転換のカギなのではないでしょうか。 善悪の業といっても、十界の域を出ません。 目指すのはやはり仏界の境涯の確立による「身、口、意」の色心の善業の積み重ねです。 しかし境涯革命の因果をつくることは、八識では善業の積み重ねによるしかない事においては「因果因時」です。 時間をかけて境涯革命するしかないからです。 貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒強盛な末法の衆生には、気の遠くなるような道のりです。 Tweet