2018年2月20日 投稿者:一人のSGI 投稿日:2018年 2月20日(火)18時18分21秒 通報 前置きが長くなりました。 >宿業と宿命。もともと仏法には宿業の概念がないというのが一人のSGIさんの持論ではなかったでしょうか。< 、、と聞かれていますが、 私は誰が何と言おうが、頑固に宿業と輪廻の思想は信じていますよ(笑) そうじゃないと、世の中説明できない事がたくさんあります。 法華経の知恵より 1997年 12月 大百蓮華 名誉会長:死後何が続くのか? 結論を言えば釈尊の答えは「業相続」でした。 現在は過去の行為(業=カルマ)の結果(果報)であり、現在の行為が未来の生の 在り方を決定する。 つまり、行為(業)の影響が次々に生死を超えて受け継がれていくということです。 p19 名誉会長:(死後の生命を感じている主体)それは善悪の業に染められた自分自身の生命流 そのものです。 刻々に変化してやまない、その生命流以外に自分というものはないのです。 しかも、その流れは常に他の生命流と「縁起」の関係によって、互いに互いを 生じさせている。 だから、「無我」です。固定的な実体というものではない。 しかし、にもかかわらず厳然として、自分自身という生命流は存在するのです。 同 p27 この部分は宿業や輪廻の説明をするのに、私がよく使う箇所です。 それを信じてないこちらのリーダー達に30年近く苦言を呈してきたこと、最低でもメンバーに隠さないで対話を持つように意見したこと、それをしないので、しかたなく私からメンバーに知らせてきたことで破和合僧と言われ、又、先生に書いた手紙に、誤解を招く表現を明確にメンバーに説明してほしいと頼んだ事が、先生に意見をする事は許されないということで、自分から組織から去ることを受けざるを得ない形に仕組まれて除名になったのです。 もちろん、彼らのシナリオでは、私は邪宗になって、積極的に自分から出て行ったとメンバーには伝わっている様です。 Tweet