2017年8月23日 投稿者:一人のSGI 投稿日:2017年 8月23日(水)00時08分23秒 通報 編集済 転載はじめ 池田:ー略ー 生と死の明確な定義が、「御義口伝」に「如去の二字は生死の二法なり」とあり、 そのあとの部分に「法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり」と記されて います。 「去」すなわち死についてはもはや説明は不要でしょう。 北川:一心を宇宙生命と合体させ、空の状態になるのが「去」であり死であるとの意味ですね。 池田:ここにいう一心とは、私達の生命自体と言っていいでしょう。 人間生命を宇宙全体に「開く」のが死です。 今度は、逆に「法界を一心に縮むる」働きを生といい「如」と称するのです。 言い換えれば、宇宙のあらゆる法を、私達自身「一心」に凝集し、一個の生命体として 顕れ出るのが生であると表現できましょう。 こうした生と死の関連性をよく理解してもらうために、若干の例をあげてみたい。 これは、以前にもたびたび比喩としてあげたものだが、私達の住む空間には、さまざまな 波長の電波が流れている。 スタジオで撮影され、録音された画像とか音が電波として、この空間に流される。ちょうど 私達の生命の死にたとえられる。 川田:空の状態ですね。 池田:電波そのものを人間の五感でとらえることはできません。 しかし、性能のよい受像機があれば、放送局で電波に乗せたときの画像や音を再生する ことが可能です。 同じように、私たちの生命も、一定の条件が整えば死から生へと変転することが可能です。 単行本「生命を語る」第三巻 p190-2 Tweet