投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 8月 4日(金)02時36分32秒   通報
優れた「対話の人」こそ真の平和主義者 P49
池田
その意味でも、歴史を振り返って、先人たちが残した足跡を顧みることは、きわめ

て有益となりましょう。

ソクラテスと並んで、私が優れた「対話の人」として挙げたいのは、宗教対立が相次ぐ

惨劇を引き起こした十六世紀のフランスを生き抜いた、モンテーニュです。

彼は『エセー(随想録)』のなかで、「精神を鍛練するもっとも有効で自然な方法は、私

の考えでは、話し合うこと」であるとし、それは「人生の他のどの行為よりも楽しいも
の」(原二郎訳、岩波文庫)と記しています。

テヘラニアン
私も、「対話」すること自体が大変好きです。

池田
それこそ、本物の「平和主義者」の証です。

モンテーニュは、さらに続けます。

「いかなる信念も、たとえそれが私の信念とどんなに違っていようと、私を傷つけない。

どんなにつまらない、突飛な思想でも、私にとって人間の精神の所産としてふさわしく思

われないものはない」・・・と。

テヘラニアン
私どもが提示したルールにも通じる視点が、見受けられますね。

池田
ええ。キケロの言葉「反駁なしには議論は成り立たない」をわが信条としていた

モンテーニュは、対話の目的は真理の探究にこそあると強調しています。

時と場所は異なりますが、先に触れたマハトマ・ガンジーも、「真理こそ神である」を

モットーとし、徹底してセクト性を排しました。

そして、”聖なるもの”を求める精神の力、内なる力を全人類に目覚めさせようと、非暴力

(アヒンサー)の行動を貫いたのです。

テヘラニアン
ガンジーといえば、会長のガンジー記念館での講演(九二年二月、「不戦世界を目指して
・・・ガンジー主義と現代」)に、大変感銘を受けました。

対話というのは、ガンジーのいう「サティヤーグラハ(真理を求め、守り抜くこと)」と

深い関連性があると、私も思います。

なぜなら、「サティヤーグラバ」は、人々の内奥の道徳的側面にアピールしていく戦い

であるからです。

池田
人々の内奥の道徳的側面にアピールしていく対話の眼目はまさに、魂と魂の交

流を促すその精神の働きかけにあるといってよいでしょう。

対話とは名ばかりの、一方的に押しつけるような態度で臨むのであれば、心の底からの

納得などは生まれません。そこに残るのは結局、博士が先に述べた「憎しみの種子」だけ

でしょう。そんな対話では、人と人とを結びつけることなど到底できないのです。

対話の必要性を訴えていく努力とともに、対話のあり方そのものを問い直す作業が欠か

せません。

この二つが相まってこそ、初めて対話の真の効用というものが社会のなかで発現し、時

代を動かす大きな力として結実していくのではないでしょうか。