2017年6月9日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 6月 9日(金)13時44分39秒 編集済 【宗教の五義】教機時国抄438㌻~441㌻まで(現代版、早読み) ■一、教を知る 教とは仏説から出た一切の「経・律・論」をいう。 これからはずれたものは外道である。 つまり、御書根本・師匠の指導根本ということ。 ■二、機を知る 仏教を弘める人は、必ず相手の機根を知らなければならない。 末代においては、信じてもそしっても法華経(御書)を教えるべきである。 法華経(御書)は下種の法だからである。 ■三、時を知る 時とは釈尊滅後(日蓮滅後)千年間の正法、次の千年間を像法、そして次の一万年の末法で、 末法では法華経(御書)の時か、組織論(我見・感情論)の時か、よく考えるべきである。 ■四、国を知る 仏教は必ず国に応じた法を弘めるべきである。 日本国は一向に小乗(上座部・権威主義・官僚主義)の国か、 一向大乗(大衆部・人間主義・民衆主役)の国か、 大小(大乗・小乗)兼学の国か、よく考えなければならない。 ■五、教法流布の先後 必ず先に弘まっている法(組織信仰・権威主義・官僚主義)を知って、 後の法(御本尊根本・御書根本・師匠根本)を弘めるべきである。 順序として、より深い法(創価学会の発迹顕本・本地)を弘めていくべきである。 以上の五義(大聖人直結・師匠直結・御本尊根本・御書根本・師匠指導根本) を知って、仏法を弘めていけば、 日本国の国師(仏法指導者)となるのである。 したがって、 教は法華経(御書・先生指導)こそ第一の〝教〟であると知るのが、真に教を知る者である。 それなのに、今の会員は〝御書根本・先生指導根本〟が「第一」に迷って理解しない。 法華経(御書・先生指導)を真に読む者がいなければ、国師(仏法指導者)となる者もいない。 また、日本は日蓮大聖人以来、法華経・文底法門の機である。 これを知る者が真に機を知る者である。 それなのに、今の会員は組織信仰(人師)の指導が機という。 今は日蓮滅後750年、創価三代の指揮・指導で広宣流布する時なのである。 これを知る者が真に時を知る者である。 それなのに、今の会員は組織信仰主義や我見の感情論が中心で 御書をないがしろにし、先生の指導をないがしろにしてと、時に迷っている。 また日本は一向に御書根本・師匠根本の国である。 これを知るを真に国を知る者である。 それなのに、今の会員は一向に御書によらず、師匠の指導によらず、 組織論(人師)と我見の感情論によっている。 また、日本の仏教は欽明天皇以来、小乗・大乗・伝教・日蓮・創価と順に弘まってきた。 それが今、御書を根本とせず、師匠の指導をないがしろにする思想が弘まってしまっている。 これは教法流布の先後を知らないものである。 仏は悪知識に値ってはならないと誡められている。 ― おわり ― Tweet