2015年2月4日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 4日(水)09時40分1秒 このように戸田先生は、牧口先生を誹謗し、苦しめ、 切り捨てた日蓮正宗の大悪(悪侶)を絶対に許されなかったとともに、 牧口先生の意志である「広宣流布の実現」を目指して立ち上がりました。 そしてそれは、池田先生の時代に入っても一貫して変わらない学会精神であり、 世界百九十二カ国に日蓮仏法を宣揚した事実がその証明です。 これらのことを踏まえて、最後のまとめに入っていきたいと思います。 創価思想における「師匠」の意義、また池田先生の思想とはどういうものなのでしょうか。 「牧口・戸田・池田」と三代に続く学会の師弟は、 思想的にも実践的にも、個性は違えど、連続性を保っています。 だからこそ「師弟不二の信仰」と言われるわけです。 この三代に続く仏法指導者は、それぞれの時代において、 いずれも日蓮仏法の模範的信仰者として会員の尊敬を集めてきました。 しかし、それぞれの信仰上の強調点は異なります。 牧口先生は何より「法則の信仰」を教えた教育者であり、 戸田先生は「使命の信仰」を強く訴えた宗教的使者であり、 池田先生は「自己の信仰」を第一義として、人間的究極者の理想を唱えている、 と解釈することが出来ると思います。 つまり、牧口先生が提唱した「大善生活法」「法罰」「実験証明」などは、 日蓮大聖人の「立正安国」を科学的思考に立って再解釈した結果でもあり、 「法則の信仰」の色彩が濃いものでした。 戸田先生もこの「法則の信仰」を引き継ぎましたが、 戦時下の獄中で自らが「地涌の菩薩」であるとの自覚に立ったことが大きな転機となり、 戦後の学会員に 「われらこそは、えらばれたるところの末法御本仏の弟子であり、家来であり、子どもである」 (戸田城聖全集第三巻 二〇二頁)と、会員の使命感を鼓舞しながら「使命の信仰」を際立たせました。 戸田先生の論文『大利益論』に 「この御本尊様と大聖人様と自分とが区別がないと信じて、 そのありがたさを心にしみて感謝申し上げ、熱心に題目を唱えるとき、 宇宙のリズムとわがリズムと調和して、宇宙の大生命が即わが生命とつらなり、 偉大な生命力が涌現してくるのである」(同前、一六六頁)と述べているように、 「使命の信仰」は明らかに「自己の信仰」へと向かう性格を秘めています。 戸田先生の時代には「自己の信仰」を中心に置くことはなかったものの、 池田先生の代になって、それが「人間主義」として主題化され、「人間革命運動」として 学会の信仰における「自己」の重要性は、世界が注目し、年を経るごとに高まりを見せています。 Tweet