投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 4日(水)09時39分9秒  

さらに
「時あたかも、わが国は太平洋戦争に直面し、国をあげて修羅のちまたに突入したのである。
牧口会長は、この大戦争の間に、強く大聖人の御精神を奉戴して、
国家の悪思想たる天照大神を拝むということに対立したのであった」(同一〇四頁)

「このとき、牧口会長は、天照大神の神札を拝むことは、
正宗の精神に反すると、きびしく会員に命ぜられたのである」(同一〇五頁)

「牧口会長のあの確信を想起せよ。絶対の確信に立たれていたのではないか。
あの太平洋戦争のころ、腰抜け坊主が国家に迎合しようとしているとき、
一国の隆昌のためには国家諫暁よりないとして、『日蓮正宗をつぶしても国家諫暁をなして日本民衆を救い、宗祖の志をつがなくてはならぬ』と厳然たる命令をくだされたこをと思い出すなら、先生の確信のほどがしのばれるのである」(同一一八頁)。

「私は学会の総意を大聖人の御命令と確信し、矢島理事長の辞任とともに、
会の組織をあらため、折伏の大行進の命を発したのである。
ここにおいて、学会は発迹顕本したのである。

顧みれば、昭和十八年の春ごろから、故会長が、
学会は『発迹顕本しなくてはならぬ』と口グセにおおせになっておられた」(同一一九頁)。

「私どもは、故会長の意志をついで、大御本尊の御前において死なんのみであります。
この確信が学会の中心思想で、いまや学会に瀰漫しつつある。
これこそ発迹顕本であるまいか」(同一二〇頁)。

「御僧侶のなかには、また次のごとくいうであろう。『めったやたらに本尊はお下げしない』と。
とんでもないことである。そんなことで、寺を建てたが、本尊を下げわたさないというならば、
寺は建ったが、なんのはたらきもしない。ただ坊主の寝床をつくったにすぎないことになる。

広宣流布とは寺を建てることとかいうことではなくて、結論においては、
正法が流布して中心がきまらなければならなくなって、寺が建つことである」
(同一二五頁)――と表明しています。