投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 2月 2日(月)11時48分51秒  

さらに、
①「日蓮大聖人御在世当時の天台宗は、現今の日蓮宗の中でも『日蓮正宗』に相当すると思はれる。
さらば従来の日蓮正宗の信者の中に『誰か三障四魔競へる人あるや』と問わねばなるまい。
そして魔が起らないで、人を指導しているのは『悪道に人をつかはす獄卒』ではないか。
然らば魔が起るか起こらないかで信者と行者の区別がわかるではないか」(同一五一頁~二頁)。

②「旧式信者の中には、『創価教育学会の連中は罰をいったりしてひどい』と非難して、
せっかく信仰に入った弱い婦人などを退転させるものがあると聞くが、御当家の御僧侶中にも一緒になって、こういう事をいう人があるということである。これは実に容易ならぬ謗法の行いである」(同一五二頁)。

③「言わねばならぬことを、どしどし言うて折伏するのが随自意の法華経であらせられると思ふ。
故に我々はこれで戦ってきたのだが、今日の盛大をいたした所以であり、今後もそれで戦はねばならぬと思ふ」(同一五二頁)。

④「失礼ながら僧侶方の大概は、御妙判と称して御書やお経文によって説明はして下さるが、
現証によって証明して下さらないのを遺憾とする。
しかも川向いの火事を視るが如く真理論でやるが、日常生活に親密の関係の価値論でそれをやらないから
無上最大の御法も十分に判ろうはずがない」(同一五三頁~四頁)

とも述べています。

先ほども振れましたが、
日本が国家神道一色に染まり、軍国主義が台頭していくなかで、国家権力におびえていた日蓮正宗は、
自宗に「難」が降りかかることを恐れ、日蓮教義の根幹である「御書」の一部削除まで行い、
時の法主である日恭は「訓輸」を発してまで「仏祖の遺訓に基づき未曾有の大戦に必勝を期すべきである」
と、大聖人の教えを都合よく利用して戦争を賛美しました。

創価教育学会が「罰論」を表にして折伏することに、日蓮正宗内部には反対もありましたが、

牧口先生はその宗門に対して、御書を通し、罰論もいえない臆病者は、
日蓮大聖人の弟子とはいえない、宗門の僧侶はただの「信者」にすぎないと痛烈に批判しました。