2017年3月13日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2017年 3月13日(月)09時37分15秒 通報 耳の功徳―― 法華経に「三千大千世界の内外の一切の声を聞き、十界の衆生の声を聞いて、 その生命の境涯を聞き分けられる。その耳は敏感であるゆえに、 すべてを聞き分けて理解することができる(趣意)」(法華経五二九頁) とあります。天台は医師の段階について 「上級の医師は声を聴き、中級の医師は色を相し、下級の医師は脈を診る」(摩訶止観) とあります。 つまり、優れた医師は脈を調べ、顔や体の様子を観察しなくても、 声を聴くだけで病気がわかるという意味です。 池田先生は 「声には、その人の境涯、状況がはっきり表れる。 温かい声、冷たい声、弱々しい声、張りのある声、深みのある声、 薄っぺらな声、福徳のある声、誠実な声、二心のある声。 聞く人が聞けば、ごまかしようがない。 ある意味で話の〝中身〟以上に〝声〟がその人を表している」 と述べられ、御書の 「師曠(しこう)が耳・離婁(りろう)が眼のやうに聞見(ききみ)させ給へ」(一四四八頁) を引いて「情報戦」と解釈しました。 さらに、時代の動向をも「声」によって察知していく力が、耳の功徳です。 ・・・つづく(午後に投稿) Tweet