2017年3月8日 投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 3月 8日(水)03時33分39秒 通報 桜の城 P62 (昭和54年5月3日) 獅子となりて我は一人征く 一九九九年五月一日 その日は、雲一つない”五月晴れ”であった。 武蔵野の丘は、生命と青春を飾りゆくように、ツツジの花に包まれていた。 その花々の彼方は、大きな真実の沈黙を漂わせた、新緑に輝いていた。 妻が、まぶしそうに言った。 「まるで、十九年前と同じ天気ですね……」 確かに一九六〇年(昭和三十五年)、私が第三代会長に就任した日も、快晴 であった。 その日の夜、大田区の小さな貧しい家で、二人して夜空を仰ぎ、「あの星は、 ホタルが輝いているように見える」と語り合ったことを思い出す。 この十九年間、絶望の闇を切り開き、無限の平和の大帝国を建設するために、 わが死闘は続いていた。 一九七九年、すなわち昭和五十四年の五月三日ー。 間もなく、創価大学の体育館で、”七つの鐘”の総仕上げを記念する、第四十 回の本部総会が行われることになっていた。 本来ならば、その日は、私にとって、偉大なる広宣流布のメッセージを携え て、創価の栄光を祝賀する日であった。 すべての同志が熱意に燃えて、楽しき次の目標をもち、至高の光を胸に抱きな がら迎えゆく、歓喜の日であった。 尊い広布の英雄たちが微笑をたたえ、共々に、珠玉の杯を交わしながら祝うべ き日であり、大勝利の鐘を自由に打ち鳴らす日であった。 Tweet