投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 3月 7日(火)21時45分38秒   通報
◎「7・3」記念北イタリア代表幹部会でのスピーチから
(1992年7月3日、イタリア)

たとえ一遍の題目でも、全宇宙に通じます。いわんや「心」「一念」をこめた題
目は、一切を揺り動かしていく。一般的にも、同じ「愛しています」という言葉
でも、心がこもっているか、目先だけかでは、全然ちがう(笑い)。ともあれ、
「わが身が妙法の当体なのだ」と深く深く確信した題目、「私は、仏の使いとし
て、妙法を弘めるために生きるのだ」と一念を定めた題目が、御本尊に響かない
はずはない。宇宙に届かないはずはない。必ず自在の境涯になっていく。

もちろん、何事においても、初めから、〝達人〟にはなれません。さまざまな障
壁を乗り越え、また乗り越え、進み続けてこそ、〝達人〟のごとき境涯が開いて
いく。信心も同じです。自分に負けて、決意がうすれていく場合もある。思いど
おりにいかず、あせる場合もある。けれども、ともかく唱題し続けていく。願い
が叶おうが、すぐには叶うまいが、疑うことなく、題目を唱えぬいていく。そう
やって信心を持続した人は、最後には必ず、自分自身にとって、〝これがいちば
ん良かったのだ〟という、価値ある「最高の道」「最高の峰」に到達できる。

すべてが喜びであり、使命であると言いきれる、「所願満足の人生」を築くこ
とができる。それが妙法であり、信仰の力です。御本尊は、なぜ大切なのか──。
それは、御本尊への「信」によって、私どもの胸中の本尊、仏界を開けるからで
す。この「御本尊」は、自身の「信心」のなかにこそある、と大聖人は仰せです。
妙法の当体である自分自身、人間自身が大事なのです。その胸中の妙法を顕すた
めにこそ、御本尊が、こよなく大切なのです。