投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 2月28日(火)18時16分9秒   通報
聖教新聞2011年8月12日
◇周恩来総理「どうしてもお会いしたいと思っていました」

いまや世界は、中国なしに政治も経済も語れない。21世紀に飛翔し続ける大国にあって、北京大学は常に、優れた人材を社会に送り出してきた、文字通り最高学府である。

北京大学から池田名誉会長に「名誉教授」称号が授与された1984年当時、中国の大学が外国人に名誉称号を贈ること自体が珍しかった。しかも日本人である。だが授与の決定に、周恩来総理夫人の郡穎超(とうえいちょう)女史も「素晴らしいことだ」と賛同。中央政府の承認のもとで贈られた。

日中友好に尽くす名誉会長の姿勢は、どの時代にあっても一貫したものである。冷戦の真っただ中だった1960年代、両国の友好を叫んで凶刃に倒れた人物もいた。だからこそ1968年9月8日、1万数千の若者を前に放った「日中国交正常化提言」は、すぐさま周総理の知るところとなった。

「池田会長は中日両国人民の友好関係の発展はどんなことをしても必要であるということを何度も提唱されている。そのことが私にはとてもうれしい」

1974年12月5日、北京での一期一会の出会いで周総理は、このように語るとともに、名誉会長に日中友好の思いを託している。

「中日友好が今日まで発展できたのは、私たち双方の努力の成果であり、そして、私たちは、その努力をこれからも続けていくよう希望します」

この74年から75年にかけて、名誉会長は米中ソを相次いで訪問し、緊張緩和の橋渡し役に徹した。

また創価大学は日本で初めて、新中国から正式な留学生を受け入れ、民主音楽協会や東京富士美術館の文化交流で両国民の相互理解に大きく貢献した。

そして、中国最大の青年団体「中華全国青年連合会」と学会青年部の相互訪問が続き、両国の青年交流を促進。日中友好を未来へ継承しゆく世代が、両国で育っている。

中国の学術者には、20世紀最大の歴史家A・J・トインビー博士と名誉会長の対談集『21世紀への対話』を若き日に読んだという人が多い。中国語版が発刊された85年ごろ、北京大学では、学生たちが同書を学び合うサークルを自主的に作った。名誉会長の哲学を学んだ人々が今、各界で活躍する。

名誉会長への称号授与に携わった北京大学の王学珍元党書記は語る。

「私たちが注目した点は、創価大学を創立した池田先生は教育を重視され、中日両国の友好を受け継ぐ多くの青年たちを育成する師匠となっていたことです。池田先生の平和の思想と哲学をもった青年たちが多く輩出されていることは非常に素晴らしいことだと思います」

過去から現在、そして未来にわたって日中友好が続くよう心血を注ぐ人物に、中国は賞讃を惜しまない。