投稿者:カンピース 投稿日:2017年 2月11日(土)19時48分30秒   通報
「新・人間革命」も4月24日に突入しました。そして本日は戸田先生の誕生日、師匠を何よりも顕彰してきた池田先生が

こんな大事な日に、4月24日をもってくるでしょうか??? 執筆チームの皆さんの気配りの無さが表れている事例ですね。
さて、24日に差し掛かったからには、二度と描かれないであろう23日にナニがあったのか?
聞いた話を紹介しようと思います。

当初の予定は、24日総務会、25日県長会、27日本部幹部会だったようです。しかし2日間繰り上げられたそうです。

実際の本部幹部会は25日に行われました。

野崎青年部長(当時)は責任を取ったかたちで、青年部長を離れたかたちで物事を処理することになったようです。

ここから「ヤマトモ」の暗躍がさらに忍び寄ります。当時の幹部(野崎・原田・八矢・原島)の人事に食い入ろうとしたようです。

具体的には役職を外そうとしたようです。さらに両名とも故人のため真実のほどは薮の中ですが、

日達猊下(当時)を持ち出し、自らの出世を図ろうとします。

猊下がヤマトモのことを心配している、北條会長の守るため、本山(大石寺)での立場もあるから

ヤマトモを副会長にすれ猊下も安心する、と自分の地位を上げ一層の権力を手に入れようと画策したそうです。
先生は全て御存知だったと思います。後に先生は述懐されています。

>私は思った。宗門と結託した、学会錯乱の悪辣なペテン師達は、これで大成功だと思い上がったに違いない。彼等は「これで計画は着々と準備通りに進んでいる。
これでよし! これで完全勝利だ」と計算し胸を張っていた。
その陰湿さと傲慢さが、私にはよく見えていた。私は、狡賢き仮装の連中の実像を、その行動から見破ることができた<
(随筆、新・人間革命、80より引用)

このような大事なことをすっ飛ばしているのが、今の「新・人間革命」なのです。いや「珍・人間革命」か?