投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟) 投稿日:2017年 2月 7日(火)02時26分39秒   通報
過去記事のスクラップで、先般投稿した昭和五十年代の聖教新聞の社説のみを読んでいると毎日、毎日、必死になってまとめられている心情が伝わりました。信心二十年の貫禄シリーズ、七つの鐘シリーズと、これらも良くまとめられていて、貫禄シリーズの笑顔の写真は、寝たきりオジサンの投稿の通り、素晴らしいものです。

では、今の聖教珍聞は?社説はたまに二面どころではなく、四面やらどこに掲載されているのか、わからない場所にポツンと載っている(><)
内容は、無いよう~見たいなありきたりの話し(><)

また、外部購読者と会った時には散々言われそうな新聞紙面です。朝日とか毎日とか読売新聞など、地方紙でもここまで劣化している新聞紙面構成は無いのでは(><)

社説無き、主張無き、公称100万部を超えている珍しい珍聞(><)
時事も話題も遅れて掲載するニュース性無き、後付講釈の事後報告珍聞(><)

本当にフィクション小説となった新・人間革命で過去を隠蔽するために歴史を作り変えて展開する聖教珍聞(><)

どんどん読者離れが進みマス(><)