2017年2月6日 投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2017年 2月 6日(月)14時29分44秒 通報 編集済 御義口伝講義録下より 第廿三 久遠の事 3/2 また「繕わず」とは、虚栄ではなく、信心に徹し、ありのままの人間性でいくことをいうのである。 本文に、「卅二相八十種好を具足せず」の卅二相八十種好とは、現実生活の上でいえば、虚栄であり、 肩書きである。これを求むることに懸命となり、自己を誇張しようとしたり、背のびして特別な人間に 見せようとすることである。そんなことは、徹底的には、まったく必要ない。 所詮、信心に生き、自分らしく、最も個性を発揮し、社会のため、人々のため、価値創造していく 人生こそ、まさに「繕わず」なのである。 また「本の儘」とは、題目を唱える姿こそ、最も大宇宙のリズムにかなった、本然の姿であり、本有の 姿である。自らは、十界本有の当体である。題目を唱えたとき、己心の地獄界は、地獄界のまま、餓鬼界 は餓鬼界のまま、妙法に照らされ、すべて幸福へと動き働くのである。これ「本の儘」ではないか。 また、信心に生き、本因妙の精神に徹することである。御本尊には行き詰まりがなく、また、信心も、 常に無量の智慧を発現する源泉である。昨日までの功績にひたり、未来を開くことを忘れた人は、御本尊 を忘れ信心を忘れた人であり、行き詰まってくる。このとき、再び信心に戻り、本因妙の精神で未来を開 くとき、必ず成長があり、前進がある。これ、本有常住の振舞いであり「本の儘」に帰着した人の姿といえる。 ポイント 昨日までの功績にひたり、未来を開くことを忘れた人は、御本尊を忘れ信心を忘れた人であり、行き詰 まってくる。 信心は、瞬間の生命が勝負です、本因妙の精神で未来を開くとき、必ず成長があり、前進がある。 Tweet