2017年1月30日 投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月30日(月)19時15分47秒 通報 大相撲で歴代1位に並ぶ通算1045勝を達成した大関・魁皇。7/14には、 千代の富士を抜いて1046勝を達成し新記録を樹立。38歳。どこまで伸ばしていけ るか。その魁皇が、持病の腰痛治療に通っているのが奈良県の整骨院と、各紙で 報道されているが、この整骨院の院長が、奈良池田圏の井上圏男子部長である。 魁皇は、井上さんの勧めで時々、聖教新聞を購読しているそうです。 ◎読売(10日付)・『顔』「持病の腰痛治療のためには、奈良県の整骨院に通うな ど、労をいとわない」 ◎聖教(14日付)・11面「腰痛などで場所前は十分な稽古を積めず、2、3日目の 取り組み後はかかりつけの医師の元へ奈良県まで出かけて体調回復に努めた」 (名古屋から奈良へ通っている)魁皇は、聖教新聞の「勝つ」「戦え」「勝利せ よ」などの言葉に励まされている。 今月も新聞を購読している。 ***************************** 元大関・魁皇を支えた人気の整骨院 聖教新聞2011年9月9日 【奈良県・上牧町】まもなく大相撲秋場所が始まる。人気大関・魁皇の姿が見え ないのが寂しい。この魁皇関を現役最後まで陰で支えた整骨院がある。「井上整 骨院」だ。一日100人前後が来院する人気の同院。ほかでは手に負えない症状も、 院長・井上さん(圏男子部長37)の手にかかれば治ってしまうとの評判が高い。 井上さんを訪ねた。「えっ、ここが整骨院!?」普通の民家の前に、小さな看板が 立ててある。何度も住所を確かめるが……間違いない。そうこうしているうちに 、車に乗った、今風の「兄ちゃん」が登場!まさか、この人が……。「どうも、 井上です」 ◇ ●開業~魁皇関引退 26歳での独立が夢だった。1年間、祈りに祈り、準備に走った。しかし、銀行 に相手にされず、融資が受けられなかった。 「もう、ええわ!と、半ばやけくそで、実家の一室で開店した次第です」 閑静な住宅街。人通りも少ない。同業の先輩は声を合わせて「無謀だ」と言った 。開店間もないころは、忠告通りの閑古鳥が鳴いた。「暇すぎて、題目ばかり唱 えていました」 1カ月が経過。あれっ!?と思った時には、行列ができていた。患者の口づてが、 一気に広がったようだ。 「うれしかったけど、仕事が終わらなくて。学会活動にも行けない。僕、創価班 なんですけど、会館運営の任務にも遅れがちで……」 創価班の先輩は厳しい。「患者に振り回されてどうする。そんなに忙しいなら、 予約制にすればいい」 完全予約制に踏み切った。同業者からは、「予約制なんて、整骨院のタブー。患 者が離れるぞ!」と言われた。だが、井上さんの施術(せじゅつ)の評判は、常識 を超えた。 ほかでは手に負えない患者が関西一円から集まり、気がつけば、一日に100人 前後が通院してくるようになった。 魁皇関も、そんな患者の一人。知人の紹介で、8年前に初めて来院した。持病の 座骨神経痛が悪化し、全国に名医を求めたが、効果が出たのは、井上さんの施術 だけだったという。 以来、定期的に通院し、体を癒やし続けてきた。最後の土俵となった7月の名古 屋場所でも、片道約2時間半かけて連日、治療を受けに来た。 史上最多1047勝を達成し、引退を表明した夜、魁皇開から電話があった。「先生 のおかげで、相撲人生が伸びました」 ●バイク事故で発心生まれ変わったように…… 根っからの学会っ子だが、真剣に活動したことはない。やる気のない、無気力な 若者になっていた。簿記の専門学校に通い、周りにつられて勉強するものの、簿 記1級試験では1点足らずで不合格だった。「やっぱり僕は、この世の中に必要 のない人間や……」。就職する意欲もわかなかった。 ある日、祖母が整骨院に通っていたことを思い出した。「整骨院だったら、お年 寄りを相手に、のんびり生きていける」。 求人募集を探し、20歳の夏に、奈良市内の鍼灸整骨院で働き始めた。だが、現実 は違った。めまぐるしい忙しさ。丁稚のような厳しい修業生活。辞めることばか り考えていた。 1年たったある日、通勤途中で事故に遭う。乗っていたバイクは大破。体は吹き 飛び、ヘルメットも宙に舞った。「この事故で、よく生きていた」と、救急隊員 も驚くほどの大事故だった。 自宅へ戻り、御本尊の前に座った。涙がこみ上げ、声にならない。気がつけば、 2時間以上も祈っていた。「かけがえのない生命やないか、どうせなら、懸命に 生きてみよう!」と心に誓った。 真剣に祈り、仕事に取り組むと、周りの環境が全て、自分を成長させてくれる訓 練だと感謝できるようになった。池田名誉会長の指導も学び抜いた。 「この世界で一流の人間になって師匠にお応えしたい」。師弟の心が燃えた。 ●柔道整復師独創的な施術 23歳で、柔道整復師の専門学校に合格。3年間、働きながら、学んだ。 25歳の時、創価班大学校に入校。折伏に率先し、友人に弘教を実らせた。折伏に 励むうち、患者との対話の内が変わってきた。表情や口調から、その人の病みの 原因を深く読み取れるようになった。 「この人たちの苦痛を取り除きたい!」同苦の心が高まり、ありとあらゆる医学 書をひもときながら、新たな施術方法を模索していった。 捻挫などの痛みは、患部の炎症を抑える施術が基本だが、炎症が治まっても痛み が取れない場合、筋肉や関節の動きが悪くなっていることに問題がある、と井上 さんは考えた。腰のヘルニアなども、足のある筋肉を刺激することによって、治 してしまうのだ。 ●病気との闘い長女――難治性の血管腫 今、井上さんは妻(地区副婦人部長37)と2人の娘の4人暮らしだ。長女(5)が 生まれてから2カ月ほどした時、左のほおの腫れに気づいた。 難治性の血管腫との診断。腫れがひどく、「手術は困難で、消すことはできませ ん」と医師は告げた。夫妻は懸命に祈り、活動し、3年間で6人の友を折伏。そ の間、治療の効果が表れ、腫れは徐々に治まり、赤いあざも次第に消えた。 しかし2年前、急に意識不明に。検査の結果、脳にも「血管腫」があり、脳内出 血していたのだ。その日、脳外科の専門医が当直しており、幸運にも後遺症の残 らない箇所の出血で止まり、事なきを得ることができた。 ●自身と子どもの病気経験から患者への思いが深まった 井上さん自身も緑内障(りょくないしょう)を患い、視力の低下と闘ってきた。 娘や自身の病と闘う中で、患者への思いは深まった。 「自分が治さなければ、この人の苦しみは癒えない!」そう自分に課して、技術 を磨き、独自の施術を開発していった。 井上さんは、対話から始める。そして、患者の体とも対話を重ねる。 微量な発汗の様子や、リラックスした時の、筋肉の力の抜け具合も見極めていく 。そして、動きが悪くなっている筋肉を刺激していく。驚くほどの回復に、患者 は最高の笑みで返す。 井上さんの喜びの瞬間だ。この信仰で鍛え抜かれた「慈悲の心」が、ゴッド・ハ ンドの秘密かもしれない。 Tweet