2017年1月9日 投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月 9日(月)21時24分23秒 通報 (聖教2006/9/13) 池田名誉会長は9月3日、山梨教学研修センターに於いて、山梨最高協議会でス ピーチをした。 青春時代、私が戸田大学で学んだ『十八史略』に、こんな逸話がある。 ――中国古代の殷の時代、大旱魃が7年も続いた。とうとう、「人間をいけに えとして雨乞いをするしかない」という声があがった。その時、国王の湯王と うおうは毅然として言った。 「雨乞いするのは人民のためなのだ。人を殺すわけにはいかぬ。もしどうして も人身御供ひとみごくう(=いけにえとなる人)が必要だというなら、わたし自 身が犠牲になろう」 そして、湯王は祈りを捧げつつ、自らが行ってきた政治が正しかったかどうか 振り返る。 「わが政事まつりごとが節度を失ってはいなかったか」 「人民を働こうにも働けなくしてはいなかったか」 「讒言が幅をきかせてはいなかったか」(『十八史略Ⅰ』徳間書店) これとは反対に、平然と、民衆を犠牲にして、保身と栄華に走る指導者のいか に多いことか。 わが身をなげうって、民衆のために!ここに指導者の重大な責務がある。真 実の魂が光る。創価の三代を貫く誓願も同じだ。 尊く健気な仏子ぶっしを護り抜くために、一切の法難を一身に受けきる。一人 たりとも、犠牲にはしない。断じて幸福にするのだ……。この決心で、私は祈 りに祈り、人知れず、あらゆる手を打ってきた。 リーダーは、自身に厳しく問うべきである。 謙虚に、皆に奉仕しているか。 礼儀正しいか。 威張ったり、傲慢になっていないか――。 自分では気づかない場合もある。皆、遠慮なく注意すべきである。 牧口先生は「いばって、信用をなくすのも、法を下げることになる」と叱咤さ れた。人間として立派であってこそ、皆が安心し、信頼を寄せてくれる。 とくに、戸田先生は、報恩の大切さを教えてくださった。 「恩に報いる心がけは、人間として、当然、持つべきである」 「不知恩の人間だけには、断じてなってはならない」 「うぬぼれと非常識は皆から嫌われ、暗い人生の方向に追いやられてしまう」 優しくも温かき先生の声が、今も耳朶から離れない。 Tweet