投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2017年 1月 9日(月)07時19分3秒   通報
【第3回】中国の文豪巴金氏

2006-5-14

青年よ〔闘争の魂〕を受け継げ
─私は「悪と戦うために」書く

とある東京のレストラン。巴金(ぱきん)先生は、
ふと視線を感じた。一人の女性が満面の笑みを投げかけている。「あなたは、
巴金さんですね」1984年5月12日。この日から巴金先生は、急に人から
声をかけられるようになった。宿泊先で、街角で「こんにちは、巴金さん」。

なぜだか親しげなあいさつを受ける。国際ペン大会の招待作家として来日して
いた。この朝までは、誰も自分を知らない様子だったのに、なぜ?思い当たる
節があった。この日の聖教新聞に、巴金先生と私の会見が、写真入りで紹介さ
れていた。「いや、聖教新聞の影響は大きいです」のちに巴金先生の上海の自
宅で再会したさい、照れくさそうに紹介してくださった。「おかげさまで、い
っぺんに日本中に友人ができました」活字の伝達力、影響力は、まことに大き
い。ご自分が“書かれる側”に回った巴金先生。言論が持つ力の大きさを、あ
らためて実感しておられた。

◆大義に依って立て

私は、書いて、書いて、書きまくってきた。目的があったからだ。友に希望を
届けるために!勇気を贈るために!勝利を開くために!私は、ペンを走らせて
きた。若き日から文筆の職業につきたかった。戸田城聖先生に初めてお会いした

折も、一編の詩をもって門下の礼をとった私である。しかし戸田門下となったの
ちに、私は決めた。書くことは大好きだ。生きがいと言ってもよい。だが、これ
からは自分一人の満足のためには書くまい!師のため、同志のため、学会のため
──「小義(しょうぎ)」ではなく「大義(たいぎ)」のためにペンを握ろう。

出版業を営んでおられた恩師に、少年誌の編集長として使っていただいた。あら
ゆる書き物のお手伝いもした。聖教新聞、大白蓮華等々、学会の機関紙誌の創刊
時から書きぬいた。文を磨きながら、自分を磨き、師に仕えた。俗に「身の丈
(たけ)」という。ひとかどの文筆家を志すなら、自分の身の丈に届くまで書け。

私も、それくらい仕事をした。師の後を継いだのち、私の机は戦場となった。
日本中、世界中の友が待っているのだ。文字通り、寸暇が惜しかった。40度近
い高熱を出した日。長男さえもが不思議がった──なぜ、そこまでして書くので
すか。その日に書いた原稿を示して答えた。一枚でも二枚でも書き進めば、それ
だけ前に進める。戦いを止めてしまえば、それまでだよ。巴金先生は言われてい
る。

「私はペンに火をつけて、わが身を燃やします」自分が感動せずして、人の心を
揺り動かせるわけがない。我が身を炎と燃やさずして、文章で人を照らせるわけ
がない。私は生涯、書き続ける。友のために。広宣流布という、全人類救済の大
義のために。たとえ生命を削ろうと。

◆大人(たいじん)に己なし

人間は最も追いつめられたとき、その真価が分かる。巴金先生には、文化大
革命の際に、言語を絶する迫害があった。一言の発言も許されない。最愛の妻
も失った。しかし、悲嘆に沈むどころか「戦って、戦って、戦い抜いて生きて
いく」ことを考えておられた。大志があったからである。「私が作品を書くの

は生活のためでも、名声のためでもありません。私が文章を書くのは敵と戦う
ためです」古来、中国の文人は、高々と宣言している。「文章は経国(けい
こく)の大業」「文章は国を興(おこ)す」「文は、すべからく天下に益ある
べし」どうせ書くなら大文章を書け。文で天下を揺り動かせ。そのために、も
っと大きく目を開け。己一個のため、己を飾るための文章など恥ではないか。

とうてい文人を名乗る資格はない。これが大中国の伝統である。よく、文章が
書けない、どうすれば力がつくのかと悩む人がいる。小手先のテクニックや人
の評価など、かなぐり捨てることである。友を救う激情である。敵を倒す気概
である。勝利への執念である。大きな目的に立ってこそ、大きな力が出る。
知恵が出る。文筆に限らず、あらゆる分野に通じる鉄則である。巴金先生とは
四度、お会いした。そのたびに確信を深めた。「大人に己なし」。貫いてきた
信念に誤りはないと。

◆正論を取り戻せ巴金先生は、魯迅先生の門下である。

激動の近代中国。魯迅先生の檄文(げきぶん)が発表されると、全中国の人民が
沸き立った。「その通りだ!」「これが真実だ!」一字一句に力があった。魂が
あった。だから読者も、打てば響いた。魯迅先生の時代から、およそ百年。当時
と比較できないほど情報は、あふれかえっている。しかし、情報の量と、人間の
魂を鍛え、益(えき)する文章の質、水準は、必ずしも比例しない。中国だけの

問題ではない。スキャンダル。冷笑。売文主義。部数のためなら、ウソも平気で
捏造(ねつぞう)する。人を踏みつけ、笑い、見下し、不健康な興味ばかりを煽
(あお)る社会の、その先に、いったい何が待っているのか。魯迅先生なら激怒
されるだろう。もちろん巴金先生も。「悪書など読むな!どこに救世(きゅうせ
い)の信念がある?ただの商売ではないか。読めば読むほど自分を腐らせるだけ
だ」「言論の革命が必要だ。言論人は民衆の信頼を取り戻せ」

◆青年を信じ待つ

巴金先生は、1904年に生誕され、2005年に永眠された。激動の中国を駆
け抜けた、最後の世代の文豪である。「私は青年を信じている。それぞれの時代
には、必ず、すぐれた青年が出てくるし、すぐれた思想が出るものだ」一世紀を
越えて生きた。それほどまでに、新しい世代が躍り出るのを待っていた。ご自身
が魯迅先生の精神を継いで走ったように。そう思えてならない。私も青年を信じ
る。待つ。信じ、待ち、託すよりほかない。思想の炎。信念の炎。我が生涯をか
けた魂の炎。それを青年の胸中に点じるために、きょうも私はペンを執(と)る。