2017年1月8日 投稿者:まなこ 投稿日:2017年 1月 8日(日)09時38分20秒 通報 【池田】 土地や建物を公有化する方法に関する博士のお考えに、私もまったく賛成です。それ以外に解決の方法はないでしょう。 次に、こうした地価の高騰と並んで、もう一つ、ビルの高層化という問題があります。さきほどのお話のなかに、香港で百万人もの一般市民のための高層アパートが建てられた例が出ましたが、最近、日本の大都市でも、マンションと称する高級アパートが続々と建てられています。これは、買い取るにしても賃借りするにしても、一般庶民の給与水準では、高嶺の花です。 さらに、こうした高層アパートが建ったため、隣接地に住む人々が日陰になってしまうという、日照権をめぐる問題が大きな社会問題となっています。都会に住む人々にとって、太陽の光と爽やかな風を奪われた生活は、肉体的にも精神的にも耐えがたい苦痛となるからです。こうした高層化現象は、もとより避けられないでしょうが、それにしても、住民が等しく日光や環境の恵み を得られるよう、総合的な計画が立てられ、そのもとに行なわれる必要がありましょう。 【トインビー】 日光や風が周囲からさえぎられることは、たしかに高層アパートの建設から生じる一つの問題ですが、その他にも不都合なことがいくつかあります。 一つには、まず、巨大なアパート群の中で生活している人々は、互いに物理的な意味での隣人でしかないということです。こうした建造物に住む人々の間では、個人的な接触が生まれるということが、まずほとんどありません。これは社会的にみて、非常によくないことです。 次に、母親と子供が、建物の高さや大きさ自体に悩まされるということです。母親にとっては、アパートの最上階から降りていって子供のために遊び場を見つけ、子供たちが遊んでいる間見守ってやれるだけの時間はとてもないでしょう。そうかといって、子供と一緒に降りていけないとなると、今度は自分が見守っていない間に子供たちに何が起きるか心配で、とても子供だけを行かせる気にはなれないというわけです。 【池田】 たしかに、ビルの高層化にともなって、人間疎外はさらにはなはだしくなる傾向があります。反自然的、反人間的な環境は、人間を不幸にするばかりです。人間を大切にし、住みよい環境をつくりだすには、これからは、人間同士の調和を実現するとともに、人間と自然との調和を取り戻すような都市計画、土地利用計画がなされなければなりません。そのためにも、さきほど御指摘がありましたように、土地の公有化ということが必要になってくるでしょう。 【トインビー】 仮に社会が一切の土地.建物に関する所有権を持ったとして、ではそのような社会では、住宅用に建てられた高層ビルに対してどのような方策をとるべきでしょうか。 これまで投機家たちは、最大限の私利を得ようとして高層アパートを建ててきたわけです。ところがこの新しい社会では、すでに社会的にも個人的にも不都合となった建物に人を無理やり住まわせるという、投機家と同じ動機はもはやないはずです。ただし、土地不足という問題には、依然として直面せざるをえないでしょう。かつてギリシアの地理学者ストラボンは、西暦紀元初めの頃、その著書の中で次のような指摘をしています。すなわち、古代ローマ市は、その高層建築物をすべて一階建ての建物に置き換えるならば、おそらくその広さは一方の海辺からもう一方の海辺にまで至ることであろう――と。 今日、人口爆発の時代にあっては、土地の利用をめぐって二律背反的な二つの主張があり、そのどちらが社会的な利益になるかで鋭い対立が起ころうとしています。つまり、土地は農耕や牧畜のために使うべきか、あるいは高層化を避けるために人間の居住用に使うべきか、どちらを優先させるかという意見の対立です。 私は、これには妥協案が必要だろうと思います。そして、たぶん新しく建てられる住宅用の土地としては、食料の生産に最も適さない場所を選ぶべきでしょう。しかし、そのような場所といえば、たいていは岩の多いでこぼこの土地になるはずですから、地形的にも不便で、建築費も高くつくことでしょう。また、現在の会社や工場の密集地帯からも、はるか離れた場所にならざるをえません。それでもなお、一家の稼ぎ手は、生活のためにそこまで通い続けなければならないわけです。したがって、われわれは、住宅だけでなく経済・生産活動用の建物も、漸次集中化をとりやめ、分散させていかざるをえなくなるでしょう。 Tweet