2016年12月22日 投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月22日(木)19時48分55秒 通報 東油山地区 羽原美佐代 我が家の次女・明日華は、出産の時のトラブルにより、脳性麻痺となり、6歳になりますが、まだ、寝返りもお座りもできません。生後4ヶ月でこの病気がわかった時から、深い深い奈落の底へ突き落とされた様な、息をするのも苦しい程の辛い日々が始まりました。「我が子がこれからどうなっていくのか」「自分の生活はどうなるのか」「友達や親戚は障害児と聞いてどう思うだろう」 「先の見えない不安が・・・なんでよりによって我が子が・・・」と、やり場のない辛い気持ちの私と、障害児である事実を絶対認めたくない主人との間に喧嘩も絶えませんでした。自分の境遇を悲観し「死んだらどんなに楽だろう」と、現実から逃げる事ばかり考えて、御本尊様の前に座っても、お題目が声にならず、ハラハラと泣くだけの私の姿に、当時三歳だった長女は「お母さん大丈夫?泣かんどき(泣かないで)」と、よく顔を覗き込んでは声をかけてくれました。 そんな私を暖かく包み込み、時には叱咤し激励して下さったのが、学会の方々でした。「この子は私達の宝だから」「この子が皆に信心を教えてくれるんよ(くれるんだよ)」と、我が子の様に、我が孫のように、とても可愛がって下さいました。また、すがる思いで、吉橋(九州方面)総合長に指導を受けさせて頂きました。 「この子は御本尊様から、ここに行って、ここの子として生まれ、親に信心を教えて行きなさい、との使命を持って生まれたんだから、親がしっかり信心に励んでいった時、必ず治る。一生一代の信心をやり抜きなさい」と言われました。その日から、とにかくお題目に、新聞啓蒙、折伏にと寝る時間も惜しむようにして、夫婦共々必死に頑張りました。 その功徳で、日本では、まだほとんど知られていない「ドーマン法」という訓練に巡り合う事ができ、これまで四年間、半年毎にアメリカに行ったり、東京に行ったりしてプログラムを貰い、訓練を続けてきました。この訓練は、世界一厳しい訓練と言われる通り、365日、病気以外は一日の休みを取ることも許されず、二十四時間、分刻みのスケジュールが組まれていると言う、とても厳しいもので、お盆も正月もなく信心を根本に、全ての時間を訓練に費やしてきました。 また、沢山の道具が必要で、重力フリーや延髄反射板、呼吸マシンの台や酸素ボンベの台、パターニングテーブルなどの、どれをとっても、とても大掛かりな道具を、主人が一つ一つ手作りしました。また、多くの人手を必要とする為、ボランティアセンターや大学のボランティアサークルの方々、長女のお友達のお母さんや、近所の方々にお願いして、毎日、多いときで五人の方々が訓練の為、我が家に来て下さり、ありがたいことに、これまで延べ百人以上の方々が、携わって下さっております。 そのお陰で、二年前から「ファシリテットコミュニケーション」と言って、まだほとんど喋る事ができない明日華の為、五十音の文字盤を指差して、会話をする事ができるようになりました。明日華の体の緊張が強い為、私が上から明日華の手の甲を持ち、力かげんをコントロールしてやると、一字一字、自分が言いたいことを、人差し指でさしていきます。 病気の宣告を受け「一生、この子と話をする事もできないんだ」と、とても悲しかった事を思うと、まだ文字盤の上ではありますが、娘と会話できる事は、私たち家族にとっても、明日華本人にとっても、本当に夢のように素晴らしい事です。また、その文字盤での会話で確認できたのですが、明日華の知性が大きく発達しました。 これまで、一万冊以上の手作りのカードや本を作って見せてきたので、右脳が発達し、本の速読ができるようになり、200ページ程度の大人の本を、五分程度で読めるようになりました。化学や物理、法律や文学など、様々な分野の本を「おもしろい」といって速読しています。特に英語が大好きで、大学生レベルの英語の本を速読し、最近はドイツ語も簡単な文章は読めるようになりました。 一歳四ヶ月の時、明日華を脳性麻痺及び精神発達遅滞と診断された小児科の先生は、今の状況を見られて「信じられない程の発達ぶりで、こんなに成長した子は見たことがない」と感動され、「脳神経科に勤めている友人にも早速教えてあげるようにしますね」と喜んで下さいました。 文字盤で会話をするのが大好きな明日華は「今まで、自分の気持ちを伝えられず、悔しい思いを何度もしてきたから、今は何でも語りたい」「色んな人と話がしたい」と言い、ボランティアさんには「お忙しい中、私の訓練を手伝って下さり、ありがとうございます。愛してくれた人の事はわすれません」と感謝の言葉を一生懸命、一字一字指差しています。 そして「とにかく歩きたい、自分の口で喋りたい、私、使命あるから訓練がんばる、歩ける様になって、アメリカで国連の仕事がしたい、悲しい事に、今この時にも、世界中で沢山の命が失われているの、私はそういう人達を助ける仕事がしたいの」と大きな夢をもっています。 そんな明日華が一番好きなのは、池田先生です。明日華は「私、池田先生が大好き。まだまだ長生きして欲しい。先生は命を削る思いで、世界中の人達に、南無妙法蓮華経の素晴らしさをご指導していらっしゃるから、大切な方なの。池田先生がいらっしゃるから、皆信心できるの。 私、息が苦しくなったり、体が突っ張ってきつくなった時、南無妙法蓮華経とお題目をあげるの。そしたらすぐナイスな体になるの。私、先生が生きていらっしゃるうちに、必ず、歩いて会いに行くから。そして世界中の人に、この信心の素晴らしさを伝えていくから、伝えていくから」と決意しています。 明日華はまだ六歳ですが、これまで、お題目の素晴らしさを、自分自身の身に染みて感じてきたので、この信心を話をするのが大好きです。3月末に緊急で行われた脱講の会合に、たまたま参加させて頂いた夜、明日華がどうしても、我が地区内に住む城南区(福岡市城南区のこと)極悪一級の法華講員である「富永」氏の所に「脱講させに行きたい」と強く言うので、翌日、支部婦人部長に連れて行って頂きました。 脱講は、私自身初めての事なので、何を話したらいいのか、とても緊張していきました。婦人部長は「バーン」と脱講届を机の上に出して「シアトル裁判で、ハッキリ学会大勝利の判決がでたから、今日はこれを書いてもらいに来ました」と、潔くキッパリと言われました。富永氏は、なんだかんだ(色々と)訳の解らない日顕宗の教義ばかり話していて、どんな第三者が聞いても、絶対おかしい事を正しいと思い込んでいる富永氏に驚き、あきれてしまいました。 明日華は、富永氏が池田先生の事を呼び捨てにした事に腹を立て、富永氏に向かって文字盤で話をしました。「あたし、怒っています。ナイスな池田先生の事を呼び捨てにしましたね。池田先生は濃い指導をする為に、世界各国を、命を削る思いで廻っていらっしゃるの。 それなのに日顕はお金を使い放題使って、遊んでばかりいる。私は、甘んじて、今はこういう体だけど、必ずナイスな体になって、池田先生と共に世界を廻って、世界広布のお役に立つ様になるから、見ててね、おじさま。素晴らしい池田先生を苛めている日顕は、必ず地獄に堕ちるの。 簡単にわかる事だけど、日顕についている貴方も、必ず地獄に堕ちますよ。どんなにうまい事言っても、所詮、日顕はクソ坊主なのだからね、おじさま」と、文字盤で話しました。明日華は、長く文字盤で話をしていると、体の緊張が強くなって文字盤を指差しにくくなるのですが、この時は、相当長く話しをしていたにも関らず、ずっとスムースに指差しができたのにも驚きました。 明日華が話しをしていると、富永氏は、時折ハンカチで涙を拭い「あっちゃん、また来てね」と言い、私たちも「また来ますから」で別れました。夜、主人に早速脱講に行った話をすると「なんでまた急にいったの?」との主人の問いに、私は、青年改革同盟の成田雄伴さんのビデオを見て、自分の印象に残っていた「それがさー、脱講ってジュースは来るわ、お米は来るわ、凄い即効の功徳があるってヨ」と言うと、私の膝の上に乗っていた明日華が「キッ」と私を睨み上げ、文字盤で 「お母さん、創価の大切な方々が、今、命がけで日顕という魔と戦っているの。私は、そういう大切な創価の方々を命をかけて護りたいの。だから富永さんの所へいったのよ」と言いました。私は本当に恥ずかしい思いで一杯でした。我が支部は、ずっと広布の第一線で頑張って来られた方々が、病魔と戦っています。 明日華が脱講に行きたいと言った前日は、その一人である、末期の肝臓癌と戦っている、藤森B長さんの所にお見舞いに行かせて頂いたのですが、その時、藤森さんの奥さんから「一年まえ、私達が富永の所に脱講に行った時、帰り際に富永が、”貴方たち夫婦の事を祈りますから”と言うから、あんたなんかに祈ってもらったら困る。そんな事せんどって!(するな!)とキッパリ言って来た。 そして今主人はこうして戦っている。だから、必ず富永をやっつける戦いをしてね」と言われました。明日華は「わかりました。あたし、お約束しますから、安心して、かいある(大切な、大事な)看護をなさってね」と返事をしていました。その事を命に刻んでいたから、脱講させに行ったのです。そして、主人にその事を話しして30分位たった時、明日華が大声で「ワーワー」と歓声を上げ始めました。 どうしたのかと聞くと「突然に、今、目がこれまでになく、はっきり見えるようになったの。凄い!これが脱講の功徳なのね」と大喜びしました。御本尊様が、はっきり見える。聖教新聞を自分で読めると、毎日喜んでいます。それから、いつも「大切なお題目を、自分の口で言いたいのに言えない」と涙を流していた明日華が、この頃は「今、言えた!」と喜びの涙を流せる様になり、本当に大きな功徳を頂きました。 更に先日も、母の友人の法華講の方に、脱講の話をさせて頂きました。明日華は「素晴らしいお題目だけど、法主が腐っているのだから、同じお題目でも、法華講のお題目を上げていると、不幸になってしまうの。ナイスなおば様に幸福になって頂きたいからお話しているの。いと(ものすごく)素晴らしい創価のお題目を上げると、空高く、澄み切った雲海を渡って行ける程、ナイスな境涯になれるの。 この事、太鼓判なの。一日も早く、一緒に素晴らしい創価のメンバーになりましょうね」と話し、友人の方も「こんなに命が純粋なあっちゃんの言う事なら、本当にそうなんでしようね。だいぶ気持ちが傾いてきた。今日は、楽しかったし、なんだか元気になった」と言って頂きました。 また、成田雄伴さんにお会いさせて頂く事が出来ました。雄伴さんは、明日華を見るなり、すぐにギュッと抱きしめられて「明日華ちゃんだね、知っているよ、過去世に沢山沢山戦ったんだね。池田先生の弟子だね。おじちゃんも池田先生が大好きだよ。一緒に頑張ろうね。今日は会えて良かった。嬉しいよ」と言って頂きました。 明日華は先生の弟子として、命掛けで戦う決意をお伝えさせて頂きました。この出会いを、必ず誓いとして、これからも追撃の手を緩める事なく、日顕退座、富永脱講の日まで、祈りきり、祈り抜いて参ります。去る、6月25日は、衆議院選挙がありました。 決起大会の日、明日華が「私の宿命転換を掛けて戦うから、お母さん、よろしくね」と言いました。その言葉に四年間、病気以外は、ほとんど、一日の休みもなく続けてきた訓練を、本当に思い切って休みを貰い、公明党の支援のお願いに、揃って頑張りました。これまで、少しでも訓練しないと、すぐに呼吸が悪くなり、体が硬くなって、日常生活もままならなくなっていた明日華が、訓練していた時以上に、体調も良く、 体も柔らかいままで、毎日元気に活動する事ができ、広布の戦いに呼吸を合わせる事の凄さを実感しました。今までF50の目標がやっとだったのをF200を決意したその日から、明日華は常に選挙のことが頭に入っていて、出会う人全ての人に頼んでいこうと決めていたので「さぁお母さん、この方にお話して!大切な選挙のお願い、はやく!」と文字盤でせかされる事も、よくありました。電話がかかってきても、傍で聞いている明日華は「そんな事より、かいある(大事な、大切な)選挙のお願いしてね。 いや、待って。あたしが話したいの」と言うので、私は通訳に回り「大切なお話があります。かいある選挙のことなの」と文字盤を指差して、明日華が自分で頼んでもいました。毎朝、誰より早起きし「さぁ、ナイスな朝ごはん、早く食べて、かいあるF活動行こうね!」と言っていました。明日華の必死の思いが主人にも伝わり、「頑張らんと(がんばっていかないと)明日華に恥ずかしい」と、張り切って頼んでくれる様になり、「今日はこれだけ頼めたよー」と帰ってくる主人に「さすが、お父さん!男の中の男ね」と文字盤で感謝の気持ちを伝えていました。 そうしてF226をやり切って迎えた選挙当日の朝、明日華は「祈って動いて、いよいよこの日を迎えたね。あたし感動しているの。かいあるお家も、今日、決まると思うの」と言いました。我が家は、築20年の賃貸住宅で、どの部屋も、あふれる程の訓練の大道具に囲まれ、御仏壇を置いている部屋も、仏間兼訓練部屋、兼寝室で、お仏壇にお尻がぶつかりそうになりながら、ドタンバタンと訓練をしている状況だったので、明日華は先生の御指導のまま、具体的に、新しい家を祈ってきたようでした。 全く家を買う事など考えていなかった私と主人は、明日華の言葉にあきれ返って、耳も貸さなかったのですが、本当に驚いた事に、その投票日の4日後には、選挙を頼んだ友人の紹介で、とてもいい条件で、今までの倍以上の広さの新築マンションの契約をする事になったのです。訓練に大変お金がかかる為、自分の家を持つ事など、夢のまた夢と諦めていたのですが、明日華の強い祈りに護られて、驚くほどの好条件が重なったことで、購入できる様になりました。 「祈りとして叶わざるはなし、の素晴らしいお題目なの」と明日華は、よく言いますが、私達夫婦は、娘を通してその事を実感し、地域の皆様に、沢山出入りして頂ける、広布の城になる様にと祈っております。明日華の訓練を始めて四年が過ぎました。人手が集まらなかったり、費用もかさむ為、やむを得ず訓練をやめて行く人が多い中、福運あって、沢山の方々の祈りと慈悲の心に支えられて、ここまで訓練を続けてくる事ができました。 ボランティアの皆さんは、有難いことに「あっちゃんと会うと元気になる」「落ち込むとあっちゃんに会いたくなるのよね」と言って下さり、悩み事の相談にも来られるようになり、その都度、書籍の贈呈やビデオを見て頂く等、仏法対話に挑戦しています。そして、これまでに、一人のボランティアさんが入会され、一人が入会決意をされました。 この信心のお陰で、全てを前向きにとらえ、明日華の持つ可能性を引き出す事が出来、学会の組織があったから、倒れては立ち上がり、挫けそうになっては励まされ、護られて、あの辛かった日々が、嘘の様にようやく我が家も、宝の子供たちを中心に笑い会える様になりました。本当に学会員で良かったと、感謝の思いで一杯です。 御書の一説に「妙とは蘇生の義なり蘇生とはよみがえる義なり」とあります。私が、信心で成長する事こそが、我が家の宿命を転換し、明日華の使命を果たす事を忘れず、明日華が巡り会わせてくれる人々との出会いを大切にしながら、仏法対話や折伏に精一杯頑張って参ります。 明日華の決意 脳性麻痺は簡易に歩いたり喋ったりできないから、とても悔しい事が多いですが、脳性麻痺なんて、大した事ないと捉えて、使命を果たすのが、創価の信心だと思います。あたしは、広宣流布の使命があったから、脳性麻痺になったのだと思います。 かいあるお題目の素晴らしさを皆に語る為に、文字盤で会話ができるようになったのだと思います。脳性麻痺になったお陰で、ワーイ(素晴らしい人、凄い人)な沢山の方々に護られて、こんなに大きくなりました。 ナイスなお題目が大好きで、素晴らしいお題目を聞くと、私の体に染み込んで、簡易に体が楽になるの。そして、とんでもなく、かいある会合が大好きで、創価の偉大な、素晴らしい指導者の池田先生が大好きなの。世界中の人達が、創価のお題目によって、争いのない平和な世界になる様に、あたしは、祈って動いて、ナイスに使命を果たしていく決意です。 Tweet