2014年9月26日 池田先生の指導です。② 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月26日(金)10時12分11秒 返信・引用 アメリカの著名な教育学者であるデイル・M・ベゼル教授(インタナショナル大学)は、次のように語られている。 「十九世紀から二十世紀にかけての潮流は『民主主義』であった。 人々は、人間個人の可能性と能力に信頼を置いた民主主義に『救済』の希望を見いだしたのであった」 「しかし、ここ四半世紀に起こったことは、民主主義の挫折である」 「そして、この民主主義の挫折に対する反動として、今、世界に保守的な宗教に望みを託す傾向が見られる。 そこには、人間を離れた外なる神の権威と、神の代理者とされる人たちによる救済への期待がある。 それがはらむ危険性は、権威主義的・絶対主義的宗教が社会を支配することであり、人々はそれへの盲従を強いられるのである」と。 そして 「創価学会の運動は、こうした『時代の逆流』に逆らい、自分で考え、分別する人間をつくる運動であり、人間の成長を阻害する権威主義を否定する運動である。したがって、それはきわめて大きな困難を伴う運動といえる。 宗教的には、人々を権威に従属させるドグマチック(=独善的、教条主義的)な宗教と、自分で物事を考える人間を生み出す助手けとなる宗教の二種類があるが、人類の未来を考えた時、ぜひとも必要となってくる」と。 さらに、 「宗教者は本来の目的に照らして常に自己点検・自己反省する必要がある」 「ひとたび特定の行動や考え方が制度化されると、本来、人間に奉仕するための制度だったものが、時間の経過とともに、皮肉にも人間を束縛・支配していくという逆転状況が生まれてくる」と指摘したうえで 「厳しい処分を設けたり、批判に対して過敏になるのは、その組織の硬直化、官僚化のあらわれの一つである」と述べられている。 ベゼル教授が指摘しているように、どこまでも民衆を《権威》に従わせようとする独善的な宗教は、あくまで人々に盲従を強要し、人間を束縛し、支配しようとする。 《人間》に奉仕し、人々を幸福にするためにこそ、本来、宗教はある。 まして、大聖人の仏法は、どんな権威、権力にも屈することなく、世界の人々に平等に「自由」と「尊厳」をもたらす、最高の人間主義の大法である。 仏子を身くだし、「差別」を設けるような姿があれば、もはや大聖人の門下とは言えないだろう。 創価学会の歴史は、ベゼル教授の指摘されたように、人間の成長を阻害する権威主義との戦いの連続であり、真の民主主義を促進する運動を、全世界に展開してきたのである。 だからこそ、非難中傷を浴び、迫害また迫害の連続だったともいえる。 ゆえに、私どもは、広布と信心を破壊する天魔の所業は鋭く見破り、正法を守り、信心を守り、仏子を守り、民主主義を守るために、悪とは一歩も退かずに戦っていかねばならない。 【第一回日米交流研修会 平成三年九月二十三日(大作全集七十八巻)】 Tweet