投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月 2日(金)19時41分28秒   通報
先ほどお送りした青木黎子さんに関しての、先生の懇談の折の指導です。

◎五十二年七月十五日

れい子は女子部の鑑だ。
今は立派な理論よりもそういうことを残しておこう。

青木、吉田、中西━━この三人で今の十倍二十倍の闘いをした。
男に勝る戦いをした。

毎晩二時三時。愚痴一つ言わずに黙々とやった。
右翼に襲われて帰れないこともあった。

途中で亡くなる人が損なのか。残る人が偉いのか。

交通費もあげられなかった。食事もできなかった。

本部は八時に始まる。
れい子は毎朝七時に来て、全部、本部の掃除をやった。

一級闘士はすごい根性の持ち主だった。

本当の娘だ。一生忘れない。

日記が全部取ってあるので出版したい。

大功労者だ。完全に陰の人、裏の人だった。
ああいうときにあれだけやったのは男にだっていない。

五年が五十年に匹敵する闘いだった。

ロウソクのように忽然と消えた人を会長がこのように話しをしている。
幸せなことじゃないか。

そこに創価学会の精神がある。
伝統、歴史━━目に見えないことを知らせていく。

れい子の日記を全部読んだ。
一生懸命やった人が早死にして、やらなかった人が偉くなっていく。

それでいいのか?

創価学会は官僚的になって、本当にやった人が認められなくて。

それでいいのか?

ある婦人部に会った。
「お金はあるのか」と聞いたら、「ありません」と。

一生懸命尽くした人が何もなくて、そうでない人が社会的な力を得ている。
矛盾じゃないか。

「嘆くな。僕が祈る。僕がついている。それでいい。それで何もいらない」
と言ったんだ。

そういう精神を忘れてはいけない。

幹部同士の間で子供のことは言う必要はない。

自慢したりするのは本陣では陣中の戯れである。

近くに足の不自由な子がいるが、私はその子が一番かわいい。
それが大将だ。

恋愛して成功してゴールインした人よりも失恋して題目を上げて立ち上がる
人のほうが数倍かわいい。
同志の集いじゃないか。

自分のうちなんかめちゃくちゃでいいんだ。それが幹部だ。

「日蓮は泣かねども涙ひまなし」

一般はいいが最高幹部はそれではいけない。

一家主義になってはいけない。

うちはそう見えるけど全然違う。
いつも女房に言っている。息子達にもいつか嫁が来る。でも他人だよ。

孫もできるだろう。でも僕はかわいがらないよ。

その分創価学会の苦労した人をもっと大事にするよと奥さんに言った。

(奥様)私は会長に何も出来ない。だからせめて会員のことを祈ろう。
 だからせめて誰かいらしたらせめて何でもしてあげよう。

「教弥(いよいよ)高ければ位弥(いよいよ)低し」
平凡な庶民でいいんだ。

女房は私が死んだら四畳半で暮らすと言ってる。

学会の人が来たら、広宣流布のために戦う人だから私より偉い、大事にします、
と言っている。

家族のためではない。

妻子は報障だ。

嵐(慧子)さんとか青木さんとか、そういう人がいたから学会がある。

それを忘れてはいけない。
功徳を受けたとか家が建ったとかそれもいいけれども
その過程で死んでいった人がいる。

そういう人たちのことが忘れられない。