投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年12月 2日(金)06時56分26秒   通報
忘れ得ぬあの瞬間【第12回】北海道で幹部会

2009-12-1

君が幸福に!それが広宣流布

“先生だ!”──池田会長を乗せた車が着いた。拍手が鳴り、歓声がわ
き上がる。札幌の中島スポーツセンターの近く。ドアが開いて、姿を現した慈
顔の新会長。すぐそばを、函館支部や、女子部の代表らが囲む。一人一人に温

かな眼差しを注吉、手を振り、握手を交わしながら、ゆっくりと会場へ向かっ
た。1960年(昭和35年)5月22日。新会長を迎えて第1回の北海道総支部幹部
会。正午からの開始予定にもかかわらず、午前10時過ぎには、人波で埋まった

。入場整理券は発行されていたものの、列車で、バスで、全道から、とめどな
く押し寄せる友また友。その数、1万6000余人。場外にも、大勢あふれている
。皆、この日を、どれだけ待ちわびていたか。どの顔も、歓喜と興奮で上気し
ている。第3代会長就任後、300万世帯の達成へ、地方指導を開始した池田新

会長。関西に続き、その舞台に選んだ天地こそ、恩師・戸田第2代会長の故郷
・北海道であった。仏法の正義を明らかにした「小樽問答」(昭和30年)。75
万世帯の試金石となった、「札幌・夏の陣」(同年)。横暴な権力から同志を

守り抜いた「夕張炭労事件」(同32年)。広布史に輝く北海道の「三大闘争」
である。それは、若き池田会長が恩師と不二の心で、開拓の同志と築き上げた
“師弟勝利の金字塔”にほかならなかった。「先生、北の守りはお引き受けし
ます!」出陣の大会は、北海道幹部の大宣言で幕を開けた。支部旗・部隊旗の

授与。「支部旗・部隊旗は、折伏の旗印です」──一人一人にしっかと手渡す
池田新会長。息をのむ迫力。峻厳な空気が会場いっぱいに流れる。北海道の5
月、外はまだ肌寒い。しかし、あふれる熱気で、参加者の顔には、うっすらと

汗がにじんでいる。式次第は進み、新会長が登壇した。諸天も寿ぐかのような
日差しが、天井ガラスから壇上に、キラキラと差し込んでいる。「北海道の皆
様、大変しばらくでございました!」場内を揺るがす大喝采。皆、あまりの喜
びで、顔がくしゃくしゃである。席上、新会長は、「豆腐とおから」の例を用

いた戸田会長の指導を紹介した。──広宣流布といっても、あくまで大切なの
は、一人一人が幸福になることだ。学会員の幸福を「豆腐」に例えるならば、
広宣流布は「おから」で、つまり、その副産物で、自然のうちに成し遂げられ
るのだ──と。一人一人の幸福の中に、広宣流布がある!ゆえに君よ、わが人

生の勝利を断固と開きゆけ!烈々たる気迫の新会長。「師弟の三代城」に、今
再びの“共戦”の炎が、赤々と燃え上がった。終了後、池田会長は、場外でた
たずむ大勢の同志にも声をかけ、激励を重ねた。そして、北海道本部へ。女子
部「北海道華陽会」の集いに出席し、初代の北海道女子部長を務めた嵐慧子さ

んら若き乙女たちに、万感の期待を込めて語った。「広宣流布は、女子部がし
っかりしていれば、大丈夫です!」「明るく美しく清らかであることが折伏で
あり、慈悲です。信心から迸る美しさ、清らかさが大事なのです」あれから明
年で50年──。麗しき“華陽のスクラム”は今、「池田華陽会」となって、全
世界を希望の光で照らしている。

(2009年12月1日付聖教新聞)