2016年11月30日 投稿者:まなこ 投稿日:2016年11月30日(水)09時18分8秒 通報 【池田】 いま博士がおっしやった、生物と環境が一体不可分であるということは、仏法において“依正不二”として説かれている概念とまったく一致します。“依正”とは“依報”(すべてを含んだ環境)と“正報”(生命主体)のことです。一言でいえば、生命主体とその環境は、現象世界においては二つの別個のものとして認識できても、その実在においては一体不二に融合して脈動しているということです。 【トインビー】 その“依正不二”という概念は、私が考えている事物の真のありさまを簡潔に説明するもののようです。 宇宙を自分のまわりに体系づけようとする一生物の利己的な企ては、その生物が生き抜くうえでの条件であり、その生命力の現われです。実際、生と利己性とは、互いに置き換えられる言葉です。これが真実であるなら、利他性の代価が死であることもまた真実のはずです。利他性すなわち愛とは、自己を中心に全宇宙を体系づけようとする一生物の生来の努力を、逆転させようとする企てです。愛は、その生物にしてみれば、宇宙を搾取することの代わりに宇宙に献身するという、逆の企てになります。自己献身ないし自己犠牲とは、自分以外の何らかの宇宙の中心に自分を向かわせることを意味します。 Tweet