2016年11月21日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年11月21日(月)05時13分7秒 通報 人生問答(上)より 池田先生 「時代や人によって異ならない正義は何かという問題ですが、それは一言でいえば、生命の尊厳、人間が人間として生きるための基本的な条件を守り抜くところにこそおくべきであると思います。私は、この『生命』を尊厳ならしめる、あらゆる活動、逆に、生命の尊厳を踏みにじる、あらゆる勢力に対決することこそ、万人に共通する正義であると思います。」 立場や時代により、当然正義は異なるが、万人共通の普遍の正義は、「生命尊厳」であることに異論はないと思います。人は迷う生き物であり、一番の迷いは、何が正しくて何が正しくないかではないだろうか。迷いが生じたときの基準として、それが生命尊厳かどうかで判断することが大事になる。 創価学会員にとっての生命尊厳とは何か。それは、「会員の尊厳を守ること」である。これが一切の基準である。即ち、会員の不幸(犠牲)の上に、組織の発展はないということであり、当然その先には、広宣流布も存在しえない。会員の尊厳を脅かす勢力とは、対決していくことが学会員普遍の正義と云えよう。 11月20付聖教新聞 四季の励ましより 「『人間のための宗教』こそ仏法の帰結だ。それゆえ、『宗教のための人間』『宗教のための宗教』というような権威主義とは、どこまでも戦わざるを得ない。」 創価学会とは、人間の尊厳を踏みにじる権威主義と戦う善の連帯である。また、そうあり続けなければならない。一人ひとりの会員が、権威主義と戦う心を持つことこそが肝心要なのである。その会員の心の中に善の連帯がある。権威主義に屈し、会員を犠牲にする生き方こそが54年体質なのだ。権威主義と戦う心が仏の一念であり、学会精神そのものである。 今や学会は権力側です。それは、いまだかつてない難しい時代を迎えたことを意味します。学会内にも、もっとも権威主義がはびこる要素があり、戦う心がなければミイラ取りがミイラとなってしまう。徹底的に排除すべきは、権威主義そのものなのだ。そこに学会の正義がある。 権威主義の幹部が会員を犠牲にし、広宣流布を破壊する。それを同志だからと容認するのか、それとも戦うのか。問われているのは、この一念なのです。会員の尊厳を踏みにじるものこそが悪であると決め、普遍的正義の道を歩むことが、令法久住につながる。味方のフリして近づき、権威主義を容認し、戦う心を骨抜きにする者には要注意です。 54年体質の宿命転換も、会員一人ひとりの中に、権威主義と戦う心があるかどうかにかかっている。権威主義という大悪を、人間主義という大善に転じること、それが仏の力である。権威主義と戦う、真の同志の心のつながりこそが、善の連帯である。獅子と獅子との共戦であり、連帯(団結)なのである。 Tweet