2016年11月17日 投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年11月17日(木)12時21分21秒 通報 そしてここにもう一つ違う角度から、この新リーダー達の組織への忠誠心にくさびを打つのが独自の解釈によって確立した、「新SGI思想」です。 詳しくは後で書きますが、ここでは軽く説明します。 空仮中の三諦で説明した方がわかりやすいと思いますから、それを使います。 今のSGIの思想は、簡単に言えば「法」である中諦だけを真実とする「但中の理」です。 「南無妙法蓮華経」とはその中諦の法理の名だと教えられています 間違いのない様に言っておきますが、これは当然、個の三世の永遠の生命観を説いた空仮中の 法理の一部の中諦として教えられるものではありません。 SGIは真実の十如是は教えない、つまり三諦自体は信じてないのです。 彼らの言うところの「永遠の生命」とはその真理の永遠性です。個々の生命ではありません。 私達が生まれ、そして死んだら帰るところ(そう思っている)の、宇宙の真理である「南無妙法蓮華経」です。 ですからそういう意味での御本尊とは、そういう思想に自分の心を集中させ、自己啓発の糧に する精神修養のツール以外の何物でもありません。 御本尊は仏の生命の当体なんていう思想は全くありません。 もしも、私達が入信の時点でこの様な思想を教えられたらどうでしょう。 その後、真実の空仮中の三諦論や而二不二論に耳を傾ける事は難しいにちがいありません。 実にこのような non-dualism (一元論)は今、西洋の宗教の世界では、今日一番台頭してきている スピリチュアリティといっても、過言ではありません。 なぜかと言えば、一神教を長く文化の基礎にしてきている社会に住む彼らには、同じく一元論でありながら、 神(仏)の定義を異にする、一連の non-dualism に改宗するのには何のためらいもないと思われます。 SGIは大いにそれを利用したと思われます。 しかし、これでは正しい広宣流布ではなく、ただ大聖人の名前を利用しただけで、現実には「外にある道」を 教える謗法の組織に成り下がってしまったとしか私には言えません。 Tweet