2016年11月16日 投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年11月16日(水)18時24分23秒 通報 (アメリカ創価大学で日本の創大生達に語る) 私は仏教徒ではありません。創価学会員でもありません。ユダヤ教徒です。しかし、池田先生のことを「先生」と呼び、先生を師匠と仰いでいます。池田先生は世界中にあって、最も普遍性のある人です。 池田先生との出会い(1990年代はじめ) 最初、先生のことは本でしか知らなかったし、お会いするとも思っていませんでした。しかし、初めてあった瞬間、自分のシャツのラベルまで、すべてを見通されているような感じがしました。相手の目を見ることはアメリカの伝統なのに、あまりにも圧倒されて、最初は顔を見られませんでした。 先生は私がリラックスできるように接してくれました。全部、私のことを、私が考えていることを熟知されているように感じました。 池田先生は、誰かがいると、絶対に、その人の気分を悪くしないように接し、行動される方です。 先生は100年、1000年に1度しか現れない人物です。先生は、すべてを超えて共通のことを分かり合える人物です。 先生は、よく世界広宣流布の話をされます。私はユダヤ人だから、折伏は皆さんに任せるしかありません。しかし、違う意味での広宣流布があると思っています。先生は政治家、歴史家……など著名な方々と会われて、共通の価値観を分かち合っておられます。私は仏法とは何か、平和とは何か、人権とは何かということを、そうした広宣流布を通して教えてもらいました。 エピソード1(東京牧口記念会館での会談) 「ディナーが出来るまでドライブしましょう」と先生に誘われ、車で創価大学の周りを回りました。 ちょうど、橋を渡ったところで、私よりも年をとった老人の教授が「先生!」と涙を溜めながら駆け寄って来た姿に感動しました。 そして先生は私の手を取って“私たちは平和のために、人権のために戦っているんだ”というように、上に挙げられました。手をつないでいたのは一瞬だったけれども、先生のエネルギーを感じて、手が溶けていくような感じがしました。それは5分にも6分にも感じられました。 その時に思ったのは、仏教徒とユダヤ教徒、赤飯を食べる食べないなど、いろんな違いはあるにしろ、正義のために戦っているんだ。ここにこそ使命があり、その戦いの中で、家族のような絆をつくっていける。人種、文化が違うけれども、私なりの大きな使命を感じました。 (昨年9月11日のテロ事件について話をされながら) テロに対して、国際関係の学者は、貧困をなくそうとか、外面的なことばかりを言います。しかし、先生は違います。内在的な力に光を当て、何が本当に悪なのかを教え、内面から変えていこうとされています。 何が一番大切か。それは教育しかありません。教育を受けることです。世界市民になるためには教育しかありません。池田先生は貧困という当時の社会状況によって、大学に行けなかった。しかし、戸田先生に出会い、自分自身を教育していったのです。しかし、あなた方は創価大学ですべて学べます。教育がいかに大事かは、社会に出た時に分かります。あなた方は本当に幸運です。なぜなら先生がたびたび大学に来られるからです。先生があなたのいるところにおられるからです。 50年先、100年先、1000年先になれば、先生を知る手段は本だけになります。だからこそ、今この時を先生と分かち合えることが一番大切なのです。 エピソード2 (先生が2回目にサイモン・ウイゼンタールセンターを訪問した時、教務部長のお母さんが、病の身で式典に参加していた) 式典会場からレセプションの会場に移動する時、小柄な先生を見失ってしまいました。焦って探していると、私の息子が「ここにいるよ」と教えてくれました。人をかき分けて行くと、500人ほどの人に囲まれながら、先生が母親を抱いて題目を唱えていたんです。それはすべてのエネルギーを母親に向けているようでした。まさにレーザービームのようでした。そして慈悲の心で、自分の胸に手を当てて、どのようにして心臓を大切にするのかを話してくれました。 人生とは何か。使命とは何か。広宣流布とは何か。それは慈悲なくしてはあり得ません。言葉で慈悲を語るのは簡単です。先生から学んだ慈悲とは、自分自身をも捨てて、すべてを相手に与えることです。 皆さんは今、学んでいるところで学んでください。皆さんが50歳になった時、先生も私もいなくなっているでしょうが、その時に、19歳の青年のままでいてください。 Tweet