投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年11月11日(金)11時22分57秒   通報
<末法の仏の異名 - 末法の法華経、の行者>

過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣 万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず、 日蓮又かくのごとし、
聖人御難事 p 1190

講義

「過去現在の末法の法華経の行者」

ある仏の教えや、その徳がもはや人々を導く力を失った時を末法という。その時に、真実の仏法をかかげ、その仏法の力に
よって人々を導こうとする実践者が「末法の法華経の行者」である。そのような〝法華経の行者〟は釈尊の場合の末法に限らず、
過去のあらゆる仏の滅後にあらわれたので、「過去現在の末法の法華経の行者」といわれたのである。
―――http://www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/148/newpage1.html#0063

このことから、私は

「過去現在の法華経の行者」ではなく、「過去現在の末法の法華経の行者」と言われていて、末法の法華経の行者は自分一人
ではない事を示唆されていると思います。
あと一つ、「末法の、法華経の行者」ではなく、「末法の法華経(妙法蓮華経)の行者」だと思います。

須田晴夫 日蓮本仏論についての一考察 より

日蓮本仏論とは、基本的には釈迦仏を正像時代の本仏とし、日蓮を末法の本仏とする立場であるが、それは決して釈尊を
貶めるものではない。
万民を等しく救済しようとした釈尊の精神は、経典としては一切衆生の成仏を説いた法華経に体現されていると日蓮は洞察した。
そして、その法華経の精神は、中国・日本においては天台大師、伝教大師に継承され、末法においては日蓮がそれを
受け継いでいる――。
日蓮が「顕仏未来記」で表明した「三国四師」とは、釈尊――天台――伝教――日蓮という系譜にこそ仏教の本流が流れ
通っているとの宣言に他ならない。

根源の法を覚知した仏の悟りにおいては釈尊も日蓮も同一であり(おそらくは天台も伝教も)、それぞれの時代や社会状況に
応じて説かれた教法の相違があるに過ぎないからである。日蓮仏法が仏教本来の思想を継承していることを世界に向けて明確に
強調していくならば、SGI に対してカルトとの批判が生ずることはほとんどないであろう。

あらゆる仏の教えにも正法・像法・末法という時の区分があるということは仏教一般の通規である。全ての仏の教えも
それぞれの時代に対応したものであるから、初めは有効であっても(正法時代)、時代の変化とともに次第に形骸化し(像法時代)
やがて衆生を救済する力が全く喪失する時代(末法)が到来する。それは釈迦仏も例外ではない。法華経を含めて多くの経典で
悪世末法の到来が説かれる所以ゆ え んである。

世界に仏は釈迦仏一仏しか 存在しないとする小乗仏教に対し、宇宙には無数の仏が存在するというのが大乗仏教の世界観である。
従って、ある仏の教えが有効性を失った時には別の仏によって衆生が救済される道理となる。
http://file.www4.hp-ez.com/haruosuda/file_20160922-132507.pdf p14ー15

以上引用終わり