投稿者:あさひ 投稿日:2016年11月 7日(月)19時19分38秒   通報
皆さんお久しぶりです

私は今回の会則変更をこう見ました
間違っているかもしれませんし
考えすぎかもしれませんが

先生の権限やSGI会長、名誉会長
云々見えづらい部分はもちろんなのですが、
なぜ会則にわざわざ敬称を先生と
とどめなければならないのかを考えた時

私が思ったのは会長権限の強化ではないかと
思いました
これまでも確かに牧口先生、戸田先生は
間違いなく特別な存在でありました
また池田先生も我々にとって特別な存在でした
図にしたらわかりやすいかと思いますが
言葉が悪いかもしれませんが
牧口先生、戸田先生を一くくりにして私達は
池田先生を中心とした同心円の組織であり
私と池田先生には距離がありませんでした
しかし、今回の会則変更で私が感じた違和感は
牧口先生、戸田先生、池田先生を一くくりにして
その後に残る同心円の組織を仮定した場合
その中心軸に据えられるのは会長ではないかと
思った次第です
もはや、同心円ではない。
我々会員と会長には弟子として
隔たりを感じます。
会則にある会長の権限を見るとまさに法主と
同じ権能を有する立場のよう。
日蓮、日興の位置に三代の会長を据えて
その後の管主、法主が歴代の会長とするような
イメージでしょうか。
創価学会仏の棟梁は会長みたいな。
そこには必ず権威が発生し
会長になったなら若輩であっても
生きた三代会長に
会ったと観なければならないと言うような
アホくさい指導がいずれ
飛び出してくるのではと危惧をしております