投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月30日(日)04時18分44秒   通報
桜 金造さん(俳優)の体験
(2001.11.18 浦安文化センター)

昭和31年11月29日、広島市生まれ、
2歳の時、母に連れられて入会。
18歳の時、テレビ番組の「お笑い
スター誕生」に商品の腕時計ほしさに
応募して優勝し、渡辺プロから声が
掛かった。漫才ブームに乗り、売れに
売れ、21歳で自分の会社を作り
社長になった。

当時、結婚し4人の子供がいたが大金が
手に入るようになり、調子に乗って六本木、
赤坂、銀座と毎晩遊びまくった。

翌年、会社が倒産し、5000万円の借金が残り、
マネージャーもどこかに逃げてしまった。
酒におぼれる日々が続き、
酔っ払っては女房や子供を殴りつけた。

お金を稼ぐため、女房はキャバレーで働き、
長男は北海道に家出をし、次男はぐれた。
三男は中学を卒業後、家出をしてしまった。

それでも酒を飲んでは暴力を振るう生活は
直らず、とうとう女房は離婚届をたたきつけて
出でいってしまった。

一人都内のアパートに移り、バイクに乗って
酔っ払い運転をしていて、車に正面衝突を起こし、
意識を失い、皿をうち、足の膝(ひざ)が
ガクガクして歩けない。目の手術も受けた。

ぼろぼろの体になり、アパートに帰り、たまらなく
みじめになった平成10年9月頃、訪ねてきて
くれた婦人部の人に誘われて、初めて座談会に
行った。家に帰り、33年ぶりに奥にしまいこんで
いた御本尊を出し、33年ぶりに勤行をし、題目を
あげた。ぼろぼろ涙が出て止まらなかった。

仕事が入るようになり、 NHKの「花のお江戸で
ござる」にチョイ役で出られるようになった。
11月の座談会が終わった時、参加していた
おばあちゃんが「金造さん、あんたのテレビを楽しみに
見ているよ」と声をかけてくれた。「チョイ役で出て
いるだけや」というと、「私は、あんたを見ている」
と言ってくれた。それ以来、例えチョイ役でも、自分を
応援してくれている人のために、一生懸命やろうと決め、
役に取り組んだ。

突然、主役の伊東四朗さんが役を降りると言い出し、
番組を終了すると思っていたが、今度は桜金造さんが中心に
なってやってほしいと言われた。自分には伊東四朗さんの
代わりは絶対できない、と断ったが、「視聴率は気にしなく
てもいい、出演者の依頼はすべてこちらでやる」など、
好条件で仕事をさせてもらえることになった。

これは功徳だと題目をあげて頑張った。5000万円の
借金も3年で返し、都内に一軒家を持てるようになった。
北海道に家出をした長男が、御本尊を持って帰ってきた。
家出をしてぐれていた次男、三男も御本尊を受けていた。
私は11月16日には副B長の任命を受け、今、創価大学
通教2回生になった。

別れた女房も副B担として頑張っており、同じく創価大学の
通教をうけて保母になろうと頑張っている。もし皆さんの
周りに組織につかない人がいたとしても、自分のように
33年ぶりに目覚める人もいるから。どうか、どんな人にも
温かく見守ってほしい。