投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年10月26日(水)12時35分59秒   通報
整理すると、

①空諦とは〝性分〟のことであり、智慧の発露ですから進歩であり活力のこと。
②仮諦とは〝仮和合〟のことであり、現実の姿ですから調和のこと。
③中諦とは〝常住不変〟のことであり、不変の生命ですから根源・一切の成り立つ原点のこと。

この三諦の認識論こそが、東洋哲学(大乗仏教)の根幹となるものであり、実体を認識する理論体系です。

これまでの西洋哲学には、この概念と思考がありませんでした。

たとえば「空」という概念を取り上げても、
一般の哲学においては「有と無」の二つを根源として考え、それ以上は進んでいません。

しかし「空」は無ではありません。

有るといえば無く、無いといえば有るという、有無を決めることができない
宇宙の森羅万象、生命の特質が仏法では完全に説かれているのです。

また「仮」という考え方も仏法独特のものであり、あらゆるものが瞬間瞬間に変化し、
一定のものは何ひとつない。森羅万象がことごとく

「生老病死」
「生住異滅(しょうじゅういめつ)※生成・定住・変化・滅失」の姿を示しています。

科学が素粒子の世界に、また宇宙に、この姿を見出したのはつい最近のことです。

ところが仏法においては、すでに三千年前にその方向を達観していたのです。

中諦にいたっては他の哲学・思想の想像を、
はるかに超えるものであり、生命の本質を解き明かした大哲学です。

仏法哲学の偉大さは、この中諦の発見にあったともいえるのです。