投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年10月26日(水)08時58分27秒 通報
さて、哲学の話にもどします。
冒頭にも述べましたが、哲学とは森羅万象(一切の現象)のその奥にある実体と本質への解明にあり、
その命題は「真実の実体とは何か」という問いかけに出発点があると述べました。
つまり、私たちの肉眼に映る世界だけが本当の姿なのか、
それとも科学で見出した原子の世界がすべてなのか、
それとも精神の世界が真実の実体なのか等々――今もってこの論争は続いています。
たとえば、唯物論、唯心論などがそうです。
しかし、東洋哲学(大乗仏教)では、この問題をいとも簡単に解き明かしています。
それが「三諦論(三諦の原理)」です。
三諦とは、空諦(くうたい)、仮諦(けたい)、中諦(ちゅうたい)の三つをいいますが、
〝諦〟とは「つまびらか・あきらか」という意味です。
宇宙の森羅万象の実相(真実の姿、実体)は、この三つの視点とその立場から、
誤りなく明らかに把握することができるというものです。
つまり〝三諦〟とは、大乗仏教を哲学的に体系化した「認識論」です。
この三つの視点を簡単に説明すると、
まず〝空諦〟とは、一切の現象の「性分」を見ることです。性分とは性質、智慧、感情などを指します。
空とは、有るといえば無く、無いといえば有るという有無の概念を超えた存在であり、
物質的にとらえることはできないが、状態としては厳として認めざるをえない実体です。
たとえば、我が心の中に〝怒る〟という状態があるとします。
怒りは縁にふれて起こりますが、怒っていないときには、その怒りの状態はどこをさがしても我が心にはありません。
では無くなったのかというと、完全に無くなったのではなく、また縁にふれてあらわれてきます。
それだけではなく、十界の感情が内在しています。
また万法の性分とは、人が話をしたり、花が咲いたりすることもそうでしょう。
これらは生きていくうえでの智慧の発露ですから〝進歩・活力〟と、とらえることもできます。
このような存在を「空(進歩・活力)」というのです。