2016年10月26日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年10月26日(水)08時57分48秒 通報 天台仏法が一念三千論として示した法華経の「実体」を、大聖人は 〝南無妙法蓮華経〟と認識し、後年、この題目を配した曼荼羅本尊を図顕します。 そして、どんな人でも直接、仏法の究極の実体に触れるような信仰環境を整えようとしたのです。 大聖人が確立した修行法によって万人が実践可能となり、死に絶えていた釈迦仏法が 日蓮大聖人の確立した仏法によって見事に蘇生したのです。 だからといって大聖人は「和合僧団」を決して否定していたわけではありません。 事実において、大聖人の「志ざし」を継承しようとする和合僧団を大切にしてきたし、 晩年には六人の老僧を定めて滅後における「志ざし」の継承を期待しています。 これらの歴史的事実を見た時に 「日蓮は釈尊の法華経から一歩も抜け出ていないので釈迦宗の一派だ」 「天台の一念三千論を継承しているから日蓮は天台宗の分派だ」 などと、くだらない議論が、民衆にとって一体何の利益があるのでしょうか。 これを観念の遊戯というのではないでしょうか。 大聖人の仏法は「生命の本質」に迫った哲学であるとともに、 森羅万象の基底に流れる生命に視点を置き、その実体を明らかにして、 その本質や働きを説いたものです。 西欧哲学や科学は、さまざまな現象を研究したものですが、 仏法はそれらを包含する生命現象を本質論から展開した哲学といえます。 大聖人は宇宙の生命力を文字曼荼羅の「本尊」として顕しましたが、 視点を変えれば、 むしろ宇宙の森羅万象を動かしている大生命の法則を究明できたればこそ、 実体としての「本尊」を確立できたのだと思います。 釈迦仏法も生命の究極を把握しようとしていましたが、完全に成し得なかったのが実情です。 だから結局、実体としての「本尊」を確立できず、精神主義に陥ってしまったのだと思います。 大聖人が提示した宇宙を動かす大生命の法則とは「南無妙法蓮華経」です。 南無妙法蓮華経こそが生命の本質であり、根源の実体であり、崩れざる絶対の幸福を確立する本源です。 そのように認識した実体(南無妙法蓮華経)を根本にして、 生活・人生・社会に価値を創造していく実践が信仰なのだと考えます。 Tweet