投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月25日(火)20時36分30秒   通報
1965年(同40年)1月15日に「中等部」が誕生。
小説『人間革命』の連載開始と時を同じくしての結成と
なりました。

東所沢本部中等部員会

藤堂全国中等部書記長の指導から抜粋
昭和60年(1985年)

「勉強をしろ」とよく言う。親も言う。学校の先生も言う。
創価学会の担当者の人も言う。出来る出来ないが、
問題じゃない。どんな高校に入ろうが。いいと思います。
ただね、一番大事なところがね自分が何かから逃げてるか?
何かに挑んでるか?これだけの差です。

「挑む」という字と「逃げる」という字は、「しんにょう」
と「てへん」で偉い違いだ。数学が苦手だ。英語が苦手だ。
だからやらない。これこのまんま行くとそれは大人になって
大変な卑怯者になる。自分の弱さを自分で平気に妥協を
してしまう。いやらしい人間になる。

今、苦手な科目があって苦手ないろいろな授業があって、
それから逃げてる。出来ないからやらない。
やる気が起きないからやらない。先生の教え方が下手
だからついていけない。という論理で勉強から逃げている
人は、それがそのまんま、その性格が大人になった時に
社会で大変に大きな失敗をして、大変に馬鹿にされてしまう。

題目をあげて勉強が出来るようにと祈る必要はない。
しかし、題目をあげて、こう祈って欲しい御本尊様に。
自分の中から逃げるという命を叩き斬って下さい。
自分の中にある何かから、すぐに逃げてしまうという、
この卑怯な生命を御本尊様、どうか叩き潰してください。
何でも挑める勇気を下さい。何にでもぶつかっていける
勇気を下さい。こう祈ってもらいたいと思います。

原田知世は、僕の町から出たスターですから、原田知世と
いうのを良く知っているんですけども、日本武道館で
教育部の総会があるという事で、僕は創価班をやって
おりますので、その打ち合わせでその一か月前に
日本武道館へ行った。

丁度、愛情物語とメインテーマの上映の前の日の金曜日で、
薬師丸ひろこと原田知世が、その日本武道館に来て前夜祭を
やるという事で、まぁ朝の10時からもう高校生と中学生が

日本武道館の周りをずらっとかこんでた。僕は下見をさせて
下さいという事で角川春樹事務所と話がついて僕たちは
日本武道館に入る事が出来た。下見というのは表面的な
事でして、僕は非常に原田知世が好きだったから原田知世に
会いたかったから中に入っちゃって楽屋のそばばっかりを
ウロウロしてたんだけど、非常に驚いた事が一つだけあります。

それを聞いて、ますます原田知世が好きになったんだけれど。
原田知世と薬師丸ひろこのステージは六時半から。スターが
六時半にステージにあがるためにはホリプロでもナベプロでも
そうだけど、少なくとも七時間前にスターは入ってなきゃ
ならない。ところが、何時になっても薬師丸ひろ子は来ました、
二時に。

それでも遅い位。でも、原田知世は何時になっても来ない。
当然スターが来ないから、角川春樹事務所のマネージャー
なんかは心配するかと思ったら、平然と仕事をしてる。
一時になっても二時になっても三時になっても四時になっても
原田知世は来ない。五時になっても来ない。

もうステージ一時間半前。メーキャップに一時間かかるからね、
どうしても。原田知世が「おはようございます。」と入って
来たのは五時四十五分。ステージに上がる四十五分前。

皆「おはよう」と言って原田知世は、すぐメークに入った。
言ってました。「原田知世は、いつもこんなに遅いんですか?」
言ってました。「あの子はね。絶対に学校を休まないんですよ。
いや、学校を休まないどころか、きちっとクラブ活動もやって
彼女は来るんですよ。どんなに強硬に、我々が押しても、
あの子は土曜日と日曜日の撮影しか応じません。

『笑っていいとも』に出たけれども、あれも昼休みの時間に
行かせたんです。学校に戻らせたんです。あの子は絶対に
学校を休まない。きちっと宿題もやるんです。きちっと
クラブも出るんです」。

で原田知世に聞いたんだ、その人が言うにはね。「何で
そんなに真剣にやるんだ?」と言ったらば、「勉強が出来ない
スターは、将来馬鹿にされる。そして勉強に取り組んで
いなければ、本当の人の心を動かすような演技は出来ない。
どんなに苦しくても私はやるんだ」と言うことで彼女は
やってるそうです。

まあ非常にその彼女の姿勢に角川春樹事務所も感動して、
それから角川は、原田知世の姿を見て角川事務所のスターは
全部学校にきちっと行かせる。きちっとクラブもやらせる。
どんなに撮影がロングランになったとしても土曜、日曜の
撮影にしか参加させない。という決定をしたそうです。

角川にそういう決定をさせたのは原田知世だったという話
ですね。挑戦をしているわけです。彼女は彼女なりに懸命に
挑んでる訳ですね。

ナベプロにしてもホリプロにしても松田聖子も学校に行って
なかったみたいですね。河合奈保子もそうだったという話です。
そうじゃなくて「行くという事」彼女は挑んでるんでるわけね。

彼女は信心していないけれど、僕は素晴らしい、いい女優に
なるんじゃないかなと思いました。

題目をあげてるとね、南海の門田が浮かんでくる。南海の門田が
左バッターボックスに立って球を待っている。どこへ投げても
レフトスタンド、ライトスタンドにはじき返される。題目を
止めて鐘を打とうとすると門田の顔が、門田の構えが仏壇の
向こうに浮かんで来て、題目を止める事が出来ない。
近鉄に行った小野選手の話です。

初めてマウンドに立って、あの南海の門田の構えを見た時に、
どれだけマウンドで題目をあげても足がガタガタ震えて
どうしようもなかった。「俺はもうダメだ。プロじゃ通用しない。
あぁー学園からまっすぐ創価大学へ行って平凡な学生になって
いれば良かった。近鉄に来なければ良かった。」その時、
初めて門田の顔を見た時わかった。

題目をあげた。題目を一時間で止めようとすると、門田の構えが
浮かんでくる。題目をあげた。「御本尊様、どうか挑ませてくれ!
あの門田に勝たせてくれ!門田にストレートを真ん中に、
投げるだけの勇気を下さい。」彼はそれができるようになった。
挑んでます。

先日、琴風(現尾車親方)が墨田区の中等部員会にきました。
こう言ってました。「僕は横綱にして下さいと題目をあげた事は
一回もない。しかし、僕のひざは二回もやられて二度も十両や
幕下に落ちてる。大関なんて言ったって明日土俵でうっちゃり
投げられて、もし、左のひざがもう一回挫折したら、僕は
生涯もう立ちあがれない相撲取りになる。

僕はいつも時間一杯の仕切りの時に塩を握って南妙法蓮華経と
題目をあげる。どう題目をあげるか?勝たせて下さい。
とあげた事は一度もない。「御本尊様、今日また相撲を一番
取りますけれど、ひょっとすると、この相撲で僕の力士と
しての生命は終わるかもしれません。惨めになって、関脇に
落ちて幕内に落ちて十両に落ちて、相手にされないような人間に、
この一番でなるかもしれません。しかし、どんなふうになっ
たとしても、どんなに自分が惨めな相撲取りになったとしても、

いつもいつも前向きで、いつもいつも挑戦が出来る。
いつもいつも前へ向かって走るだけのエネルギーを下さい。」と
こういうふうに祈っている。「中等部の皆さん、僕はこれから
横綱になるかもしれないし、惨めな関脇、幕内になるかもしれ
ないけども、琴風がどんなふうになったとしても、どんな状況に
なったとしても、常に前向きだという姿を見ていて下さい。」
こういうふうに言っておりました。

琴風をそういうふうに見てあげて下さい。彼は勝たせて下さいと
祈らなかったけど、負けない人間にして下さいと祈り続けてきた
わけです。凄いなと僕は思いました。

最後に、中等部の事をね。今スターばっかり言ったから、原田
知世と、小野と琴風のことしか言ったからね、中等部の事を
言います。
題目がいかに凄いかという話をしたいと思います。今ね、
どんなに勉強が出来ない人もいろんな問題がある人も、今これ
からの僕の話を聞いたらね、題目の凄さがわかるよ。