投稿者:寝たきりオジサン 投稿日:2016年10月22日(土)07時53分27秒   通報
●滝山祭

副会長(東京長)(1995年当時) 正木正明さん

大学生だった私が、池田先生の人間性を肌で感じた
エピソードがあります。夏の炎天下で行なわれた
滝山祭(大学祭)のことです。

期間中、先生は毎日キャンパスにやってきては、ズラッと
並んだ模擬店に一軒一軒足を運び、学生を激励されて
いました。もう汗ダクダクになりながらです。
滝山祭の最終日の夜に行なわれた盆踊り大会では、
先生自らヤグラに上がり、大きな太鼓を叩いてくれました。

そりゃあ、学生たちはみな大喜びです。すると先生は
さらに太鼓を叩く。そのときです。池田先生のところに
実行委員長が駆け寄っていったのです。何をしているの
かなと注意して見ていると、先生の手が真っ赤に腫れ上がり、

皮が擦りむけて血が滲んでいるのです。そこに絆創膏を
貼ってまた太鼓を叩きつづける。その情愛あふれる姿を
目のあたりにして、私は泣けてきました。

池田先生は厳しい師匠でもあります。大学生のとき、
私は先生が大学にいらっしゃったときの雑用をお手伝いを
するメンバー(4人)の1人に選ばれました。あるとき
「ここにいる者は全員、大学院に進学しなさい」と
先生は私たちに約束させたんです。

ところが、私だけ先生との約束を破り、本部職員として
就職してしまったのです。もともと、大学に入ったときから
将来は本部職員になろうと思っていましたし、どちらかと
いうと学問は苦手でしたので。

最初、私が本部のなかで配属されたのは、先生のお部屋に
近い庶務局でした。先生ともお会いできる、私は内心喜んで
いました。ところが、先生は私の働いている職場によく顔を
出されるのですが、いつも私だけを無視し、いちども口を
きいてくれないのです。

エレベーターの中で先生と2人きりになったときのことです。
私は今日こそは口をきいてくださるだろうと、先生に挨拶を
したのですが、やはり知らん顔です。このときはたいへん
ショックでした。そんな厳しい状態が1年4ヶ月も続きました。

私にすれば、先生に見放されたような気持ちで、一時は深刻に
悩みました。しかし、師匠との約束を裏切ったのは私なのです。
私は猛反省をし、いつの日か先生からあいつはこれでよかった
んだと言っていただける日が来るまで、腐ることなくしっかりと
仕事に打ち込もう。そう心に決めました。

それから、しばらくして全国高等部書記長に任命され、
恐る恐る先生のところに行きました。先生は私の顔を見るなり、
「よく頑張ったな!」と笑顔で声をかけてくださったのです。

先生は突き放しながらも、ずっと私を見守っていてくださった
のです。先生の厳しさと優しさを、このときほど感じたことは
ありません。どんなことであれ、師匠との約束は命懸けで
守っていこう。今はそう実感しています。

<完>