投稿者:無冠 投稿日:2016年10月11日(火)07時32分10秒   通報 編集済
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2010.1.26 【「SGIの日」記念協議会】

一、本日は、各地のリーダーの皆さんが集まってくださった。
遠方から参加した皆さん方も、大変にご苦労さま!
きょうは、ゆっくりと懇談的に語りたい(大拍手)。

● 燃え立つ信心で
一、戸田先生は言われた。
「朗々と妙法を唱え抜き、感激に燃えて戦うのだ!
『本当にありがたい! うれしい!』──この燃え立つ信心があれば、祈りは叶うのだ」
私たちの唱える南無妙法蓮華経は、「大宇宙」と「わが生命」とを貫く、根源の音律である。
広布に戦う喜びと感謝にあふれた、燃え立つような祈りは、己心の「仏界の力」をわき立たせるとともに、全宇宙の諸天・諸仏を揺り動かしていくのだ。
その祈りが、叶わないわけはない。

● 全権大使たれ!
一、戸田先生は、国家の弾圧による2年間の投獄から出獄して間もなく、こう語っておられる。
「ぐずぐずしてはいられない。出獄後、私は、一日の休みもなく、奮闘している。
これからの半年の間に、2年間の投獄の空白を取り返す決心で戦っている!」
限りある時間だ。
私たちも、ぐずぐずしてはいられない。
決断である。行動である。
祈るのだ。動くのだ。
特にリーダーは、道を歩くときも、さっそうと歩き、会員・同志の皆さん、近隣の方々と、すがすがしいあいさつを交わしていくのである。
一人一人が“学会の全権大使である”との気概で、勇んで打って出よう!(大拍手)

■ リーダーならば、先頭に立つことだ。
先頭を行けば、当然、風圧は強い。難にあう。それに断固として打ち勝って、道を開いていく。それがリーダーである。
戦時中、軍部と戦い、正義の信念を貫いた牧口先生、戸田先生は、自らを犠牲にして、学会を護り、同志を護っていかれた。
私もまた、お二人の精神のままに行動してきた。
「各国各地の大切な同志を護れるように」「皆が安心して活動できるように」と、祈って祈って祈り抜いてきた。
そのために、あらゆる努力を惜しまず、道を開き、道を作り、時代を変え、学会への認識を新たにさせてきた。
これが「創価の三代の心」である。
この会員厳護の精神を離れて、創価学会はない。リーダーは忘れてはならない。
嫉妬の邪宗門からも陰険な攻撃を受けてきたが、私は微動だにしなかった。
私たちは、邪宗門から離れることができて本当によかった。まさに御仏意であった(大拍手)。

● 一、インドネシアの女性解放の先駆者カルティニは叫んだ。
「まず手本を示す人があるとよい」「思いきって始める人さえあれば、きっと多くの人がこれにならうものだと確信しております」(牛江名訳『暗黒を越えて』日新書院。現代表記に改めた)
我らは今、永遠に崩れぬ「創価城」を築いている。
「広宣の道」「勝利の道」「歓喜の道」を、皆さんが全世界に大きく広げていくのだ。勇気の剣を高く掲げ、さっそうと前進していただきたい(大拍手)。

● 理想の建設へ大局観に立て
一、本年は、日蓮大聖人が「立正安国論」を鎌倉幕府の最高権力者・北条時頼に提出してから満750年の佳節に当たる。〈大聖人が「立正安国論」を提出されたのは文応元年(1260年)7月16日〉
大聖人の御一代の弘法は「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。
「立正安国論」には、正法によって断じて民衆の幸福と平和を実現するのだとの、御本仏の大慈悲と大情熱が脈打っている。
私たちは、この立正安国の御精神のままに、いかなる迫害の嵐も乗り越えて、広宣流布へ進んできた。
大聖人の御賞讃は間違いないと確信する(大拍手)。
「立正安国論」には記されている。
「汝須《すべから》く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を序・逎瓩・廖文羹・咳㌻)
自らの幸福を願うならば、まず社会の安定や繁栄、世界の平和を祈っていくべきであるとの仰せである。
国土が戦乱や災害に覆われてしまえば、個人の幸福の実現もありえない。
自分一人の幸せではない。社会の平穏と繁栄を祈り、その実現に尽くしてこそ、真実の幸福は実現される。
また、そうした生き方を貫いてこそ、自己の小さな殻を打ち破り、本当に価値のある、充実した人生を築いていくことができるのである。
戸田先生は青年部に語っておられた。
「社会をどう変革するか、理想の社会を構築するためには、どのような実践行動が必要かを考えよ!
その大局観に立った一切の振る舞いであってほしい」
青年こそ、理想の社会建設の先頭に立ってもらいたい。
勇んで現実社会の真っただ中に飛び込み、泥まみれになって民衆のため、地域のために尽くし抜くことだ。
ここに日蓮仏法の魂もある。

● 思想の乱れが社会の乱れに
一、大聖人が「立正安国論」を御執筆された当時、大地震や飢饉、疫病などが続き、民衆は塗炭の苦しみを味わっていた。
大聖人は、その原因について、こう喝破されている。
「世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。
そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災《わざわ》いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである」(同十七㌻、通解)
人々は正法に背き、誤った教えを拠り所としている。こうした思想・哲学の乱れが、世の中の乱れの元凶であるとの仰せである。
国といい、社会といっても、その根本は人間である。人間の行動を決めるのは思想であり、哲学だ。宗教である。
民衆が、何を規範とし、何を求めて生きるのか。それによって、社会のあり方は大きく変わってくる。
だからこそ、民衆一人一人が確固たる哲学を持つことが重要なのだ。
私たちの広宣流布の運動は即、立正安国の戦いなのである。

一、大聖人は御断言された。
「結句は勝負を決せざらん外《ほか》は此の災難止み難《がた》かるべし」(同998㌻)
仏法は「勝負」である。正義が勝ち、正法が興隆してこそ、真の平和と繁栄の実現もあるのである。
人生も戦いだ。真剣に祈り、努力し、行動し抜いてこそ、勝利の結果が生まれる。
私たちは信念の行動で、誠実の対話で、すべてに勝ちゆく一人一人でありたい。

● 共生と調和へ対話を推進
一、国主諫暁を断行されたことで、大聖人は国家権力から厳しい迫害を受けた。
大聖人は、なぜ大難を覚悟の上で、「立正安国論」を著されたのか。
「安国論御勘由来」には、その理由について「ただひとえに国のため、法のため、人のためであって、自分の身のために言うのではない」(同35㌻、通解)と綴られている。
仏法のため、平和のため、民衆のために正義を断じて叫びきらねばならない。これが御本仏の御覚悟であられた。
戸田先生は訴えておられた。
「日蓮大聖人は、首の座にのぼっても、佐渡の雪の中で凍えても、“われ日本の柱となるのだ! 眼目となるのだ! 大船となるのだ!”と仰せになられた。そして、民衆のために、あれほど戦われたではないか!
我々も、強い自分に立ち返って、体当たりで戦うことだ!」
学会は大聖人の仏法を根幹として、全世界に平和と教育と文化の連帯を大きく広げてきた。「人間革命」の哲学を掲げて全民衆の幸福の実現を目指すとともに、共生と調和の社会の実現を願い、「文明間対話」を地球規模で推進してきた。
御書には「智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである」(1466㌻、通解)と仰せである。
現実の社会の中で、仏法の智慧を発揮し、貢献していく。そうであってこそ、真に“生きた宗教”として輝いていくことができるのである。
今、SGIの人類貢献の活動に、各国の指導者や識者からも多大な賞讃が寄せられている。
日蓮大聖人の仰せのままに、大聖人に直結して前進する我ら創価学会は、世界の「平和の柱」である。
青年の「教育の眼目」である。
人類の「文化の大船」である。
この深き誇りと確信を胸に、威風も堂々と進みたい(大拍手)。

● 皆を喜ばせるのが真のリーダー
一、戸田先生は、こうも叫ばれた。
「リーダーは、先頭に立て! 同志の方々の模範となるべきだ。
皆が安心し、皆に喜んでもらえるような存在に、断じて、なっていきなさい」
皆のおかげで、リーダーがいる。
皆のために、リーダーはいる。
これが戸田先生の大精神であった。
リーダーが最前線に立つのだ。それが正しい。当然のことだ。
同志は皆、雨の日も、雪の日も、寒い中でも、一生懸命、広宣流布のために戦ってくれている。
リーダーは心から感謝し、誰よりも真剣に行動するのだ。
そうすれば、皆も、うれしい。「ああ、来てくれた」と喜びが広がる。
それとは反対に、号令だけかけて、自分は動かない。立場にあぐらをかいて、ふんぞり返る──そんな増上慢の人間が出てきたら、学会はどうなるか。
私は、将来のために語り残しておきたい。
誰よりもリーダー自身が、人間の中へ飛び込んでいくことだ。
「あの人の戦う姿に勇気をもらった」「あの励ましのおかげで頑張れた」──そう思ってもらえるくらい、同志のために尽くし抜いていく。その振る舞いが、永遠に光っていくのである。
広布の人生に引退はない。最後の一瞬まで戦い、立派に総仕上げしていくのだ。
どんな立場になっても、同志を尊敬し、後輩をほめ讃えながら、自分は“一兵卒”の気概で、尊き和合を護り抜くのである。
決して威張ったり、利己主義に陥ってはならない。自己には厳しく、人には温かく。皆に信頼され、頼りにされる存在であってもらいたい。

● 正義の師子の風格を持て!
一、戸田先生は壮年リーダーの奮起を願って語られた。
「正義の師子の風格を持て! その頼もしき姿に、皆がついてくるのだ」
黄金柱の壮年部が、今こそ立ち上がる時である。
たとえ年配になっても、二十五歳の青年の心意気で、この一生を生き抜いていただきたい!  〈会場から「ハイ!」と返事が〉
断じて心まで老いてはならない。若々しい心を燃やさなければ、何事も勝てるはずがないからだ。
また戸田先生は、婦人部と女子部の友を励まして言われた。
「広宣流布の旗を持って、立ち上がれ! 永遠の生命から見れば、苦しい時期というのは、瞬間のようなものである。最後まで、しっかり頑張りきってごらん。必ず結果が出るよ」
深い意味が込められた言葉だ。
同志の皆様の中には、ご家族が病気の方もいるでしょう。この不況で経済的に大変な方がいることも、よくうかがっています。
壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ。題目をあげぬき、決して負けてはいけない。
「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
私は、一切が、希望の方向へ、幸福の方向へ、勝利の方向へ行くようにと、毎日、真剣に祈っている。
どうか勇気ある信心で、苦難を乗り越えていただきたい!
ニュージーランド出身の女性作家マンスフイールド。彼女は、ちょうど女子部の皆さんと同じ青春時代に、こう綴っている。
「困難を征服している時以外に私が幸福になれる時があろうか? 決してない」(佐野英一訳『文学する日記(全訳)』建設社。現代表記に改めた)
困難がないことが幸福なのではない。
困難に打ち勝つなかに幸福があるのだ。
女子部の皆さんは、いかなる悩みも乗り越えて、一人ももれなく、世界一の幸福王女になっていただきたいのです。
頼むよ!〈会場から「女子部は必ず勝利してまいります!」との声が〉
うれしいね。広宣流布に挑みゆく、その心が偉大だ。本当に尊いことです。
男性陣も、負けずに頑張れ!〈「ハイ!」と元気いっぱいの返事〉

● 心は必ず通じる
一、戸田先生の指導を拝したい。
「題目は、真剣勝負で祈れば、必ず功徳となって現れる。
真剣に祈れば、雑念は消え、広布の戦いで勝つことに集中できるようになるのだ」
勝つための仏法だ。
1年365日、強き祈りを根本に、すべてに勝ち抜こう!
戸田先生は、こうも言われていた。
「信頼や友好を結ぶのは、簡単なことではない。しかし、人間として、誠実に、人の三倍の努力をすれば、必ず心は通じる。その地道な戦いこそが、最も堅実な勝利の道なのである」
友情こそ、人生の宝である。自分から心を開いていくのだ。
気取らず、飾らず、どこまでも誠実に、信頼の心を通わせていくことである。
ともあれ、日蓮大聖人に連なって、真剣に、妙法を唱えゆく我らには、「無作三身の如来」の生命が滾々とわいてくる。
「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(御書759㌻)──ありのままの自分を伸び伸びと輝かせていける。ここに妙法の偉大さがある。

栄光の80周年! さあ きょうも出陣!
時代を動かす対話の大潮流を

● 今いる場所が使命の晴れ舞台
一、「誰か」ではない。「どこか」でもない。「自分が今いるその場所」が、わが人生の晴れ舞台である。
自分にしかできない使命の劇を、思う存分、勝ち飾るのだ。
心に大きな目標を持つ人は、それだけ大きな人生を生きられる。
自ら決めた目標へ、祈り戦い抜く人は、最後に必ず勝利する。
「広宣流布」即「世界平和」。
それが我らの大目的である。
歴史を開く80周年。
どうせ戦うならば、日本中がびっくりするような、正義と勇気の大対話運動を巻き起こし、民衆が輝く新時代を開くのだ。
やってみよう! 対立から調和へ、平和の連帯を大きく広げるのだ。世界を、あっと言わせよう!
時は来た。大勢の同志もいる。ここで躊躇し、臆しては、後世の人々に笑われる。
戸田先生は教えてくださった。
「今は乱世である。非情な戦いが、乱世の原理というものだ。
ゆえに、我が身を惜しまず、厳しい使命の実現に骨身を削る以外にない。そこに、勝利が開かれる」
乱世をもチャンスに変えて、強気、強気で進むのだ。
先生の言葉のままに、私は戦った。一念に億劫の辛労を尽くして、祈り、走った。
行くところ行くところで、皆が驚くような結果を示し、妙法流布の活路を開いた。飛躍的な拡大は、日本はもとより、世界まで波動を広げた。
思えば、戸田先生は、愛弟子を、あえて最激戦地に挑ませて、鍛えた。そのたびに、私は敢然と戦い、勝利を報告した。
先生は「どこに行ったって、大作は何でもやり遂げる」と、本当にうれしそうだった。  師匠の期待に、より以上の結果をもってお応えする。
これが、真実の弟子の道である。

● 不惜身命の魂を継ぎゆけ
一、戸田先生の時代も、多くの幹部がいた。しかし、誰よりも先生をお護りし、誰よりも勝利を打ち立てたのは、私である。後世のために、ありのままに語っておきたい。
先生は心から信頼してくださり、亡くなられる前に、「大作、お前がいたから、よくやってくれたから、俺は栄えある身になれたよ。これからの学会を頼む」と語ってくださった。
師匠のためなら、何でもやる。すべてに勝つ。これが弟子だ。
この心が、創価学会という民衆の大幸福城を築き上げたのだ。
最も過酷な時代にあつて、正義を貫き、殉教された牧口先生。
ともに投獄され、満身創痍の身で、学会を再建された戸田先生。
その不惜身命の魂を継ぎ、私は広宣流布に立ち上がった。
苦境の戸田先生を、多くの人が見限り、軽侮《けいぶ》し、恩を仇で返していった時、私は戸田先生!」と叫んで戦った。心黒き増上慢の人間を、清浄な広布の世界から叩き出した。
後に「俺は、いい弟子をもって、幸せだったよ、大作」と喜んでくださった先生。
病弱だった私の身を案じて、「大作、長生きしてくれ」と叫び、人目もはばからず慟哭された先生。
「なんとか長生きしてもらわないといけない」と、先生は、私ために祈ってくださった。
本当にありがたい師匠であった。
先生亡き後も、弘教の上げ潮をつくり、あらゆる基盤を整え、五大州に道を開いた。
世界も、心配ありません──今、私は、こう胸を張って、先生にご報告することができる(大拍手)。

● 五十年後、百年後の同志の模範に
一、風が吹けば、波が立つ。正義を叫べば、反発も起こる。
御書に「風大なれば波大なり」(909㌻)と仰せの通り、これからも、大仏法を弘めれば必ず難が競うだろう。
それは、正義のゆえであり、時代が変わる兆しなのだ。
戦おう! 断じて勝つのだ。
頑張ろう! 今の皆さん方の真剣な行動が、後世の教科書になっていく。
創立80周年のこの時に、皆がどう戦ったのかを、五十年後、百年後の同志が学ぶ。そういう時代が必ず来るのだ。
脚光を浴びない舞台で、誰が見ていなくとも、黙々と、わが使命を果たしてくれている友もいる。
しかし、全部が仏道修行である。仏法には一切無駄はない。
かつて戸田先生は、「水滸会」の野外訓練で、キャンプファイアを囲みながら、こう語られた。
「この炎のように、私たちの生命も、燃え上がらせていくのだ。
学会精神とは、信心の炎を燃え上がらせることなのだ」
強い祈りと熱い決意で、友を励まし、同志に尽くすのだ。

● 皆様の「勝利」と「健康」を祈る
一、師とともに戦い、師とともに勝つ。ここに常勝の道がある。
いかなる時代になろうとも、師弟の魂を叫び抜き、師弟の道に生きるのだ。それが学会の強さである。それでこそ、最高の力が出る。この一点を、永遠に、わが生命に刻みつけていただきたい。
きょうは長時間、本当にありがとう!
皆さん方のご家族が健康であるように。そして、一切に勝利していけるように。それを祈って、題目をあげたい。〈ここでSGI会長の導師で、全員で唱題した〉
ご苦労さま!
お元気で!
私は、妻とともに、一生懸命、皆さんの「勝利」と「健康」を祈っています。それぞれの地域の広宣流布は、皆さんにお願いする以外にないからだ。
地元に帰られましたら、同志の方々に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
青年部、頑張れ! 成長がうれしい。民衆を護るために、偉くなれ! 負けるな!
皆さん、ありがとう!(大拍手)