2016年10月7日 投稿者:無冠 投稿日:2016年10月 7日(金)19時07分25秒 通報 編集済 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2009-11-27 【代表幹部協議会】 ■ 一、きょうは、新時代を担う若きリーダーをはじめ、各部の代表が集われた。長い将来のために、懇談的に語り合いたい。 いよいよ、学会創立80周年の開幕である。 ともどもに、明年の栄光の峰を目指して、皆さんのご家族の、そして自分自身の「幸福と勝利、万歳!」と高らかに叫びたい。 恩師・戸田城聖先生が、私たちに、よく指導された言葉がある。 「人生の正しい、勝利の軌道は一体、何か。 それは、まず『勇気』である。次に『努力』だ。それから『勝利』である」 これを、いつも青年たちに言われた。私の頭から離れない。 勇気があったから今の創価学会があるのだ。信心の根本は、勇気である。 入信以来62年、私は、あらゆる広布の戦《いくさ》を、勇気で勝ってきた。 かつて、東京の福生《ふっさ》で、他宗の寺が不法な行為を繰り返した時にも、直ちに現地へ飛んで、厳重抗議した。 何か事が起これば、青年が果敢に叫び、動き、勝利を決した。 勇気と智慧と同志愛で、新たな道を開いてきたのである。 ● 我々は勝った! 一、わが同志は皆、本当によく戦ってくださった。 日本だけではない。アメリカも隆々と発展している。あの国でも、この大陸でも、同志が活躍している。 平和・文化・教育の光を広げゆく、我ら創価の大行進は、全世界で目覚ましい。 創価学会は勝ちました。日本においても、学会ほどの民衆の大連帯はない。仏法史に輝く壮挙である(大拍手)。 すべての勝利は、真剣な同志のおかげである。功徳は大きい。広布のために戦った福運が、子孫末代まで輝きわたることは、御聖訓に照らして絶対に間違いない。仏法は実証主義なのである。 ● 師弟の心が一致すれば無敵だ 一、皆を安心させる振る舞いは、指導者にとって大切だ。 とともに、同志を守るためには、切れ味鋭く、頭脳が回転していなければならない。 戸田先生は、古参の幹部もいるなかで、青年である私を、深く信頼してくださった。 「私は口先の人間は信じない。大作は、広宣流布のために、日本中を駆けずり回っているではないか。大作を見習え!」と言われたこともあった。 私は常に、先生のそばで仕えた。先生は、最も困難な戦いを、いつも私に託された。 昭和26年(1951年)、戸田先生が第2代会長に就任された。同志は喜びにわき返ったが、折伏がなかなか進まない。 「このままでは、広宣流布には5万年もかかってしまう」と先生は深く嘆かれた。 「大作、やってくれるか」──先生の命を受け、私は昭和27年、蒲田で2月闘争の大拡大の波を起こした。 さらに、翌昭和28年には、文京の支部長代理となった。心を合わせた祈りから出発し、全魂こめて友を励ました。当時、住んでいた大田から何度も通った。低迷していた文京は、第一級の支部へと飛躍した。 戸田先生に全生命を捧げた私である。広布のために、ひとたび師から託されたことは、何があろうと断固として成し遂げる──これが弟子だ。この道を私は貫き通した。 師弟の心が完璧に一致していれば、何も恐れるものはない。 私は先生に、連戦連勝の結果をもって、お応えした。 “肩書ではなく、自分が苦労して真の実力を磨け”“一番、大変なところで道を開け”──これが恩師の厳愛の鍛錬であった。それが私の宝となった。すべて、 「将の将」を育てるための、先生の布石であった。 今日の学会の世界的な大発展を先生が見られたらこくださるであろう。 不二の決意で立ち上がる、真の弟子がいるかどうか。それが未来永遠の栄光を決する。 青年ならば、いかなる壁をも打ち破る大勇気を持つべきだ。 一人立つ勇気を持つのだ。 勇気と努力で、新たな勝利の突破口を開くのだ。誰かではなく自分が、誉れの弟子として生きて生き抜いていただきたい。〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉 一、今、全国各地で新しいリーダーが続々と躍り出ている。うれしい限りだ。 いかなる組織にあっても、要となる人間が賢明であれば、一切無事故で悠々と前進していける。 反対に、要の人間が愚かであれば、虚偽や無責任がはびこり、人材も伸びない。将来にわたって心すべき急所が、ここにある。 組織の伸長をはかる「基準」は、「リーダーが成長しているかどうか」──この一点にあるのだ。 どうか、誇りある使命を深く自覚し、頑張っていただきたい。 ● どこまでも信心根本で 一、偉大なる広布の道を開きゆく同志のために、できることなら何でもして差し上げたい。 これが仏法の指導者の心である。 一つの写真、一つの詩歌でも、愛する同志が喜んでくれるならば──そう思い、祈りをこめて、私は日々、励ましを贈っている。 法のため、人のために尽くしゆく人生は、それだけ辛労も多い。しかし全部、意味がある。 今ある環境、限られた条件の中から、一生懸命、智慧を出し合って、広布を進めていくのだ。 そうやって信心で苦労すれば、苦労した分だけ、諸君の子孫にも必ず功徳が集まっていくのである。 このように申し上げるのも、多くの人生を見てきた体験の上からだ。まるで“お伽話”のように聞こえるかもしれないが、生命の次元で見れば、仏法の因果の理法は、すべて真実なのである。 ゆえに、目の前の苦難に、断じて、へこたれてはいけない。 「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(御書1143㌻)である。 私たちは、南無妙法蓮華経の題目を、思う存分に唱えることができる。実はこのこと自体が、世界一、富める者であることを意味しているのだ。 今、題目を唱えられるという現実そのものが、最高に幸福な境涯なのである。 さまざまな悩みがあり、経済的に大変であっても、真剣に祈り、信心に徹すれば、いかなる宿命をも転換していける。 たとえ、お金持ちになったとしても、見栄を張り、遊ぶのに夢中になってしまえばかえって不幸になってしまう場合もある。 大切なのは、どこまでも信心根本で生き抜くことだ。 ● 「大願」に生きよ 一、きょうは3点、確認しておきたい。 第1に、「リーダーの本分に徹し抜く」。 第2に、「広宣流布の大願に生ききる」。 第3に、「広布の戦には、断じて勝つ」。 明年は、断じて勝利の一年にしてまいりたい。 〈会場から「ハイ!」と勢いよく返事が〉 ● あの人がいれば学会は発展する 一、ドイツの文豪ゲーテは綴った。 「ぼくに課せられた日々の仕事は、日ごとにたやすくもなり困難にもなるが、これが寝てもさめても一瞬の油断をも許さない」(小栗浩訳「書簡」、『ゲーテ全集15』所収、潮出版社) すでに文名赫々たる三十一歳のゲーテは、国の要職を担い、政務に打ち込みながら、わが生涯をかけた創作活動に思いを馳せていた。その最中での自戒であった。 現実の社会には、嫉妬もある。敵もいる。悪意もある。寸分たりとも隙があれば、大事業は為し得ない。 「油断大敵」とは、万事にわたる戒めだ。特に、リーダーが気を抜けば、悪影響は全体に及ぶ。 ともあれ、まず幹部が動くのだ。自分が動きもしないくせに“他人にやらせよう”という心は、“畜生の心”である。諸君は、そんなずるいリーダーになってはならない。 私は常に、先駆けとなる戦いで、勝利をもぎとった。不敗の原点を胸に刻み、あらゆる戦いを勝ち抜いてきた。 若き諸君も、そうなってもらいたい。 名将になるのだ。青年期に訓練を受けることだ。青春時代に悔いなく戦った人は、どこまでも伸びていける。 “あの人がいれば学会は必ず発展する”と言われる一人一人になってほしいのである。 ● 嵐の日にも吹雪の時も 一、師を守る。この一点に私は徹した。戸田先生は、私の健康を心配してくださった。 戦争中、肺病で苦しみ、東京・蒲田の新潟鉄工所で倒れたこと、鹿島の療養所での治療を勧められたことなどを、今も思い出す。 学会の会長になってからも、激務が続き、無理を重ねた。妻は先日も、「あなたが健康な体になったのは、本当につい最近のことですね」と、しみじみ言っていた。 嵐の日も、吹雪の時も、変わらず指揮を執り、戦いきってきた。 「三十歳までは生きられない」と言われながら、戸田先生を守り抜き、先生の心を継いで、世界平和の潮流を広げてきたのだ。 ゆえに私は、青年部の皆さんに「君は、やろうと思えば何でもできるんだよ!」と語りかけたいのである。 広布のために尽くした私の人生だ。何の後悔もない。 思えば、学会の草創期には、思うように学校に通えず、苦労した人も多かった。そうした皆さんが、誇りに思えるように──こうした願いも込めて、私は創価一貫教育の学府をつくった。庶民のための指導者を育てたいのだ。 組織の上の人間が、威張ることなく、皆に尽くす。私は、この方針を、がっちりと貫いてきた。今後も永遠に貫かねばならない。 ● 楽しき行進を 一、幹部自身が気取りを捨てて、どこまでも真剣に戦うことである。師匠に心のギアを合わせていくのだ。人も組織も、しっかりと指導を受けたところが伸びていくものだ。 十九世紀から二十世紀初頭を生きたアメリカの作家マーク・トウェインは洞察している。 「真に偉大であるものには飾り気がない」(ドロシー・クイック著、野川浩美訳『マーク・トウェインと私』ほんのしろ) 日蓮仏法では「無作三身」と説く。本来ありのままの仏の境涯を、「信」によって得ることができるのだ。 見せかけの虚飾などいらない。偉そうに、ツンとすまして話していては、友の心に響かない。特に、青年の前では、そうだ。 皆が楽しくなり、「よし! やろう」と喜んで決意できるよう、心を砕いていくのがリーダーの務めである。 格好ではない。自分らしく、戦い抜くのだ。そして、わが使命の地域を世界一の幸福の仏国土へと変えていくのである。 一、インドネシアの大作家モフタル・ルビスの言葉を贈りたい。 現在、私が進めているワヒド元大統領との対談でも話題となった言論人である。 ルビスの小説のなかで、名もなき庶民を守ろうとして亡くなった勇者の遺志を継ぎ、一人の若き女性が決然と叫んだ。 「今こそ、民衆の幸せに対して責任を感じる人は、すべて立ち上がって行動すべき時なのよ」(粕谷俊樹訳『ジャカルタの黄昏』井村文化事業社) 指導者は皆を守るためにいる。広宣流布のためのリーダーである。偉くなったように錯覚をしてはいけない。 人を「使う」のではない。尊き仏子に「仕える」のだ。 同志のために、全幹部が師子となって立ち上がっていただきたい!(大拍手) ● 忘れ得ぬ出会い 一、今年の十二月五日は、周恩来総理との忘れ得ぬ出会いから35周年を迎える。 1974年(昭和四十九年)十二月五日、第2次訪中の最後の夜に、私と妻は北京の病院を訪れた。周総理は重い病を患い、入院されていたのである。 「池田先生とは、どうしても、お会いしたいと思っていました」 周総理がこう言って、私の手を固く握られたことを、今も鮮明に覚えている。 すでに私の初訪中の際、総理は、真心の限りを尽くして準備をしてくださっていた。しかし、ちょうど入院して手術をされ、お会いできなかった。 そして闘病が続くなか、一期一会の出会いとなったのである。 私は、周総理の世界平和への思いを胸に、今日まで中国との友好を強く結んできた。 〈十二月一日には、名誉会長に中国・天津の「周恩来・鄧穎超記念館」から「名誉館員」の称号が贈られた〉 一、ともあれ、全世界が創価の八十周年を祝福してくださっている。牧口先生、戸田先生も、どれほど、お喜びくださることか。 数多くの顕彰をもって讃えられた、世界一の学会である。すべて皆様の力である。 こうした栄誉は、すべて同志の皆様方に、世々代々に流れ伝わっていく栄光である。これが仏法の光彩である。師弟の誉れである。尊極無上の人生を歩んでいることを深く確信していただきたい(大拍手)。 ● 不屈の闘争で 一、事業の苦境の中で、戸田先生は学会理事長の辞任を突然発表された。その折私は戸田先生にうかがった。 「先生が理事長を辞められたら、新しい理事長が私の師匠になるのでしょうか」──。 戸田先生は「それは違う」と言下に否定された。そして、「苦労ばかりかけるけれど、君の師匠は私だよ」と厳然とおっしゃってくださった。 先生に断じて会長になっていただきます! そのために私が奮闘いたします!──私は、その決意を申し上げた。 場所は、西神田の小さな旧学会本部。二人きりの語らいだった。 本当に大変な時代だった。戸田先生をおとしめ、自分たちが学会を牛耳ろうとする人間たちもいた。 しかし私は、師弟不二の不屈の闘争で、一切の困難を打ち破った。師弟の勝利の歴史を打ち立てた。 プラムディヤは、物語の中で、一人の母の言葉を記している。 「思い上がりが、あなたを苦しめ、不幸にしてきたのです」「たったいまから、感謝の心を忘れない人間になるよう訓練なさい」(押川典昭訳『プラムディヤ選集6』めこん) 傲慢な人間、恩知らずの人間には決してなってはならない。 青年時代、私は師匠・戸田先生を命懸けで支えた。一番、正しい人、一番、広宣流布のために戦う人を護り抜いた。 これが本当の弟子である。これが真実の仏法の実践である。 正義の人を苦しめ、いじめれば最後は無残だ。惨めな人生の末路をたどることは皆様がご存じの通りである。 ともあれ、大事なことは、「将の将」たるリーダーが、もう一度、本当の学会精神に立ち返って戦うことだ。自分自身が変わことだ。 どこまでも「上」に立つリーダーが本気になって立ち上がることだ。そうすれば、学会はもう一歩、大きな前進を遂げることができる。 ● 目を開け! 一、世界の識者との対話──それは、恩師の遺言であった。 私は対話に走った。世界へ道を開いた。 青年部も、目を世界に開いてもらいたい。 また壮年部の諸君も、私とともに奮い立って一緒に進むのだ。 私に比べれば、皆さんは、まだまだ若い。老け込むには早い(笑い)。 どこまでも学会とともに生き抜くのだ。 そして、「あの人の励ましによって救われた!」「あの人のおかけで成長できた!」と皆から尊敬され、感謝される一人一人であっていただきたい。 一、今、創価の民衆のスクラムは地球規模で広がった。 その根本の土台を、わが身を削って築き、護ってきたのは誰か。 広宣流布に戦い抜いて、御書に仰せの通りの「三障四魔」「三類の強敵」の大難を受けてきたのは誰か。 初代の牧口先生であり、第2代の戸田先生であり、第3代の私である。 そこに、どれだけの祈りがあり、どれだけの熟慮があり、どれだけの戦いがあったか。 自分のことになってしまうが、青年部の皆さん方には、学会の指導者の真実の心を、真実の歴史を知っておいていただきたいのである。 ■ 時を待つのではない。 動きに動いて、勝利の時を創るのだ。 広宣流布の前進において、本陣のリーダーの責任は、あまりにも大きい。 戸田先生は、厳として言われた。 「最高幹部は、全会員に仕えるのだ。率先して打って出るのだ。 二百倍、三百倍の労力を費やして、完璧な勝利の道を開くのだ。 それが、創価の師弟の精神だ」 頑張ろう! 仏法は勝負である。 健気な女子部や、後輩たちのために、先頭に立って道を切り開く──それが、将たる者の使命である。 先生は、こうも叫んでおられた。 「臆病な幹部はいらない。 本当に、一緒に広宣流布をしよう、大聖人の仏法を広めよう、不幸の人を救おうという心を失った幹部は、学会から出ていってもらいたい。こういう人間には、いてもらっては困る。邪魔になる。不潔になる。学会が濁ってしまう」 厳しいようだが、後世のために、あえて伝え残させていただく。 ともあれ、リーダーは、いかなる状況にあっても、富士のごとく雄大な心で、晴れ晴れと胸を張って、同志を包み、励ましていってもらいたい。 話し方ひとつとっても、若々しく、歌を歌うような、生き生きとした声で語るのだ。心のこもった声は必ず、相手の胸に入る。 「言《ことば》と云うは心の思いを響かして声を顕す」(御書563㌻)と仰せの通りである。 決して、一方的であってはならない。 「いい話が聞けてよかったな」と、皆が満足し、清新な決意で出発できるような工夫をお願いしたい。 ロシアの大文豪トルストイの言葉に、こうあった。 「真実を知り得た人々がなすべきことは、その真実を人々に伝えることだ。そして、実行することである」 真実は、伝わってこそ価値を生む。実行してこそ、よりよき世界をつくっていける。 大聖人は「うれしきかな末法流布に生れあへる我等」(御書1439㌻)、「悦ばしいかな経文に任せて五五百歳・広宣流布をまつ」(同1525㌻)等と仰せである。 広宣流布という偉大な使命を果たしゆく人生が、どれほど素晴らしいか。 いよいよ、勝負の時である。 喜び勇んで、前進しよう!(大拍手) 一、私は今、学会の将来のために、着々と手を打っている。 全国各地には、創価の友が喜び集う、数多くの会館がある。 研修道場や墓地公園も、別海の北海道研修道場、厚田の戸田記念墓地公園、兵庫の関西池田記念墓地公園、そして、“平和の要塞”と親しまれる沖縄研修道場など、日本列島のすみずみまで、実に壮大な広がりとなった。 青年部の諸君! 君たちの黄金の舞台は、日本中、そして全世界に開かれている。 「世界第一の使命と栄光の青春を、誇り高く、勝ち進め!」──こう強く申し上げておきたい(大拍手)。 一、「日興遺誠置文」には仰せである。 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(同1618㌻) これは、師・日蓮大聖人の「立宗宣言」から80年の時に叫ばれた、弟子・日興上人の師子吼であられる。 日興上人は、大聖人の御心に、寸分違わず行動し、ただ一人、師弟の正道を貫いてこられた。 広宣流布の大願へ、身命を借しまず、正義を叫ぶ。ただただ、師の仰せの通りに戦い抜く──。これが、学会の永遠の魂である。 ■ 真剣に戦う同志を、ほめ讃えながら、明るく、朗らかに、そして、どこまでも仲良く進んでいこう! 長時間、ありがとう! 最後に恩師がお好きたった“大楠公”の曲を皆様に贈りたい(大拍手)。 〈名誉会長がピアノに向かい、“大楠公”を演奏。師弟の魂が共鳴した。さらに「荒城の月」「さくら」を奏でた〉 皆さん、お元気で! 勇気、正義、そして忍耐で進むのだ。 朗らかに! また朗らかに! たとえ折伏がなかなかできなくても、朗らかにいくのだ。楽しく生き抜くのだ。 自分自身を、また家族、兄弟、親戚を、幸福へと引っ張っていくために戦おう! 戦いというのは、得てして、「勝利」の中に「敗北」の因があり、「敗北」の中に次の「勝利」の因があるものだ。 ゆえに、小さく考えないで、勝っても負けても、朗らかに前進しよう! そして最後に断固として勝つのだ。 最後まで信心し切った人は、生々世々、大功徳に包まれ、子孫未代まで栄えていくのである。 これが大聖人の仰せである。絶対に御書に間違いはない。 皆さん方とご家族の「勝利」と「幸福」を祈ります! 風邪などひかないように。またお会いしましょう!(大拍手) Tweet