2016年10月3日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年10月 3日(月)12時43分32秒 通報 世界の希望!様 言葉ではなく、心を受け継ぐことができるかどうかが、師弟不二の世界の探求のカギですね。言葉の奥にある心を観ていくのが仏法であり、人間主義です。そして、師の姿がないからこそ、ありがたみもわかり、恋慕の想いも湧いて来る。まさに、日々の勤行で詠んでいる、「咸皆懷戀慕 而生渇仰心」(げんかいえれんぼ にしょうかつごうしん)です。 今も昔も、創価学会は問題を抱えています。それが、表面化してきただけのことだと思っています。今までは、問題があっても、「先生」という一点で頑張ってこられた。それが通用しなくなってきている。先生がどれだけ陣頭指揮を執り、指導をしてきても、組織や幹部の狂いは、いくらでもありました。それでも先生という存在があったからこそ、何とかなってきた。 先生を頼り、目指した立場から、先生と同じ目線、一念へと信心を深化させていく時が到来しました。先生の姿がないからこそ、本物の求道の心も養われる。それは、膨大な指導の奥にある心を観じとる道であり、本格的に、師を求める時代なのです。師を頼る自身を乗り越え、自立した信仰者へと成長しゆくことこそが、師への最大の報恩であり、仏法者の生き方です。 組織や幹部が悪しく機能すれば、師をも引きずり下ろすことが可能であることを証明したのが54年です。寸善尺魔の言葉にあるように、悪は善の十倍勢力です。創価学会は、池田先生にずっと守られてきた団体であり、54年は、その先生を誰も守らなかった。守られっぱなしの弟子であるのが現状である。悪は必ず善に牙をむく。それが役割だからである。次は弟子(本門の池田門下)が守る番です。 創価三代の精神が脈々と流れる創価学会にしていくことが、師を守ることになる。だからこそ、ごまかさずに、おかしいものはおましいと声をあげている。ただし、人の心というものは、正しければ動くというものではない。そうであるならば、世界はとっくに平和になっている。正しさだけでは現実は変わらない。それが人間の世界です。 人の心を動かすのは、正しいことは前提として、そこに「感動」があるかどうかです。自身に、まわりを感動させる何かがなければ、組織変革を成し遂げることはできない。感動こそが、21世紀の無血革命のキーワードであり、仏の力です。誰もが具えている仏の力を顕現したときに、感動を生むことができる。魔王は仏には絶対に敵わない。魔王が恐れるもの、それは人々を魅了し、感動させることのできる人間です。 正義は時代や立場によって変わる。実にあやふやなものである。所詮は、正義と正義のぶつかりあいでしかなくなる。これを不毛という。自身が正義であると主張するならば、感動させること。これが、私が意識し、考えていることです。 Tweet