投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月24日(土)07時15分20秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-3-4 【新時代第27回本部幹部会】

 一、きょうは海外の皆さん、ご苦労さま!。
ありがとう!おめでとう!(大拍手)

  青だ! 桜だ!満開だ!希望だ!勝利だ!青春桜だ!
  厳寒を乗り越え 咲きゆく幸福桜だ!

これは創価大学の創立から2、3年たったころの春、創大生数人と一緒に桜を観たときに歌った懐かしい詩である。
 平和の日本列島に咲く桜は、美しい。世界的にも有名である。私も桜が好きだ。
「散る桜 残る桜も散る桜」という詩があるが、「この詩を戦争に利用した、軍国主義の時代の曰本の桜が情けなく、大嫌いだった」と、ある人が嘆いていた。
 戸田先生は叫ばれた。
「私たちは、散らない広布流布の桜を咲かせるのだ!散ることのない、永遠の幸福と平和の妙法の桜を胸に咲かせながら、この人生を生き抜いていこう! 笑顔と勇気と勝利を胸に、勝ち抜いていくのだ!」
これが、遺言のごとき戸田先生の叫びであった。よろしく頼みます!(大拍手)

●尊き求道の炎
 一、ともあれ、世界の60力国・地域から集われた偉大な広宣流布の指導者の皆さん!遠路はるばると、本当にご苦労さま!(大拍手)
仕事もある。さまざまな状況もある。そうしたなかを求道心に燃えて、研修に参加する。日本に来る。大変な仏道修行である。
 私は、皆様こそ、広宣流布を進めゆく「仏」に等しい方々だと申し上げたい。
ある青年部の友が、「この60力国の『6』という数字について、仏典では『具足』という意義が示されていますね」と語っていた。
「そうだね」と私は言った。
また、「この研修会自体が、世界広布の尊き縮図であり、結晶ですね」と述べていた。その通りと思う。
本当に立派だ。勇者の集いだ。信心の志において、曰本の皆さんも負けてはいけない。
 また、きょうは、わが芸術部の皆さん、大変にありがとう!(大拍手)
皆さんにお会いできて、本当にうれしい。
芸術部の友の活躍は、同志の誇りだ。
大切な方々である。
 権力者よりも偉大な、最高の使命と力をもっている。皆で励まし、宣揚し、心から応援をしてまいりたい(大拍手)。

●伸びゆく人材
 一、きょうは後継の青年部の幹部会でもある。今、堂々と青年が育ち、堅固な地盤と築いている。立派な人材が、陸続と生い立ち、巣立っている。見事な勝利の姿である。
 学会の未来は、洋々と開けている。将来が明確に見えてきた。本当にありがたいことだ。
女子部の池田華陽会も、世界に広がっている。〈会場から「ありがとうございます!」
との声〉 女子部の笑顔と声は実にさわやかだ。
また、広宣流布と社会の「黄金柱」である壮年部の皆さん、ご苦ろう労さま!
 壮年部が、一番大事な存在である。
〈ここで壮年部の参加者が立ち上がった〉
皆さん、若い(笑い)。素晴らしい(大拍手)。
今、日本の国では青年が少なくなってきている。「壮年部」即「青年部」lそれぐ
らいの心意気で進むことだ。
 この点を先取りし、若々しい気概に燃える人は、勝っていける。
団体も、国も、青年の心で勝利していける。
 「何歳?」と聞かれたら、30歳を引いて答えるぐらいでもいい(笑い)。
ただし、女性の皆様は年齢にだまされないよう、気をつけてください(爆笑)。

■ 一、今、太陽の仏法が広がっているのは、192の国と地域。世界の栗てまで広宣の旗が翻っている。
 戸田先生の時代は、曰本が舞台であった。しかし私は、日蓮大聖人の御遺命たる世界広布を「必ず成し遂げてみせる」と固く誓った。
戸田先生も、「大作だったら、絶対に実現してくれる」と信じてくださった。
 先生は、何かあると「大作、大作」と私を呼ばれた。広布の歴史を「大きく作る」戦いを託された。
 当時、なかなか弘教が進まず、「このままでは、広宣流布は5万年もかかってしまう」と先生は嘆かれた。
 蒲田でも文京でも、私が折伏の突破口を開いた。勇壮な行進曲が響くように、勝利、勝利の前進を続けた。
 「大阪の戦い」では〃まさかが実現〃の逆転勝利・晩年の戸田先生は。「これで歴史を残すことができた。みんな君のおかげだ」と喜んでくださった。

■ 一、権威を振りかざす坊主がいた。増上慢の幹部もいた。軍部に投獄された師は、体を痛めつけられていた。
そのなかで、20代の私が、広宣流布や大指導者たる師の活路を開いた。そして、絢燗たる創価の新時代を築いていったのである。
 「おれは、いい弟子をもった」「大作、信られるのは、お前一人だ」l恩師の声が、今も胸に響く。
真実の弟子の戦いは、だれが見ていなくとも、御本尊がほめてくださると確信する
(大拍手)。

●若き君達に託す
 一、現在、私は、アメリカの教育哲学をリードしてきた、ジョン・デューイ協会のガリソン会長との対談を進めている。
ガリソン会長は、恩師・戸田先生が青年に未来を託した記念の日「3・16」の意義について、次のように述べておられた。
「戸田会長は、青年こそが、創価学会を永遠ならしめる〃カギ〃であることを知っておられました」
 きょうは、この点を申し上げたかった。広宣流布を進めるのは青年である。青年に託す以外にないし、青年にしか成し遂げられない。老いた心になってはならない。
『 今、もう一回、私は青年に的を絞り、光を当てている。
青年のために、正義と真実を語り残したいのだ。
今まで学会を襲った数多くの破和合僧の動きにも、峻厳なまでの現証が出ている。
これが「仏法」であり、「勝負」である。
「私どもは、すべてに勝った」と申し上げたい(大拍手)。
 ガリソン会長の言を続けたい。
「「3・16は、戸田会長の、青年のような気慨と、そこに集った、若き日の池田博士をはじめ、青年たちの〃心〃が出あうことで、永遠なるものが生み出された儀式だったといえるのではないでしょうか」実によく見てくださっている。
 私は、それはそれは、戸田先生にお仕えした。言語に絶する苦労もあった。しかし、歴史上、かつてないほど師匠を護り、仕え抜こう ― そう覚悟して戦った。
だからこそ学会は、いかなる難があろうと、諸天善神によって護られてきたのである。
 師を軽んじ、学会を軽んずろ。要するに、信心がない ― それが退転者の本質であった。

●20数回に及んだ「紅の歌」の推敲
 一、青年部の愛唱歌の一つに、「紅の歌」がある。ここで、皆で歌うことを提案したいが、どうだろうか。
〈創価グロリア吹奏楽団の演奏で、男子部の参加害を中心に「紅の歌」の1番を合唱した〉 素晴らしい歌をありがとう。
先曰も、ある有名な社会的指導者がこの、「紅の歌」を聞き、〃すごい歌だ。感銘を受けた〃〃これまで学会のことをさまざまな角度から知ってきたが、この歌一つで、また、ほれぼれしました〃と語っておられたそうだ。
「紅の歌」が生まれたのは、28年前(1981年=昭和56年)の秋である。
歌があるところは、発展する。歌を歌うところは、行進する勢いも強い。行動も早い。
戦いに勝っていける。
 明るく力強い歌声のない世界は、いつか衰退していくものであろう。
ともあれ、「紅の歌」の誕生は、私が「桂冠詩人」の称号を拝受した年でもある(大拍手)。
〈1981年、世界詩人会議を主宰する世界芸術文化アカデミーから、SGI会長に「桂冠詩人」の称号が贈られた〉

 一、この年の11月、満月の美しい夜であった。今でも覚えている。
私は、香川・庵治の四国研修道場にいた。
そこへ、青年部の代表が集まってくれた。
皆さんは、庵治の研修道場をご存じだろうか。
〈四国からの参加者が「ハイ!」と応え、感謝の意を述べた〉四国の同志の皆さんに、よろしくお伝えください。
あの夜、私は青年部の代表と懇談した。彼らは〃先生、新しい歌を作りたいのです!〃と、徹夜で作成した歌詞の案を携えていた。
四国は”詩国” ー詩人の国である。言葉は、智慧があれば、いくらでも出てくるものだ。
彼らと語りながら、「ああ、学会の青年はいいな!」と思ったことを、今も忘れない。
それは、邪悪の輩に対する反転攻勢の闘魂を燃やして、作ってくれた歌詞だった。
徹夜明けで、目を赤くした彼らを前に、歌詞を一読して、「あまり、上手ではないな
どとは、決して言わなかった(爆笑)。
 私は「わかった。君たちのために手伝うよ」と、一緒に推敲に取りかかった。
激励行の各地で、数日間にわたり、四国を離れる直前まで、20数回に及ぶ真剣勝負の推敲を重ねた。
その末に、現在、あらゆる天地で歌われている「紅の歌」ができ上がったのである(大拍手)。
 もともとのタイトルは「黎明の歌」だった。それを「紅の歌」に改めた。
冒頭の一行も、原案では「ああ黎明の時来る」であった。この〃黎明〃という言葉
は、頻繁に使われてきた。そこで、最終的には「ああ紅の朝明けて」と変えた。
ちょっとした、細かいところが大事である。たとえば、会合での「指導」の内容であれ、人に語りかける「声」であれ、何であれ、ちょっとした心づかいによって、よりよいものに変わる。
 人間は、大抵の場合、そんなに極端な達いや、力量の差があるわけではない。しかし、「心」一つで、その人が変わっていく場合がある。「心」こそ、不思議なるものだ。

●「毀誉褒貶の人降し」
 一、また、「紅の歌」の原案には、「毀誉褒貶の人あるも」とあった。この歌詞のま
まだと、毀誉褒貶 ―― 世間の評判に左右される人々を、一面、肯定してしまうことになる。そこで、「毀誉褒貶の人降し」と強めて、そうした存在と戦い、諌めていく心を、歌詞に託した。
 一語一語、一行一行を検討しながら、皆に〃戦う魂〃を伝えていった。
それは、大変な作業である。もちろん、月謝は出ない(爆笑)。
 逆に、皆に食事をふるまってあげながら(大笑い)、推敲を進めた。
作曲においても、「ああ紅の……」と私が口ずさんだ旋律を、そばにいた四国音楽隊
の友が五線譜に書き留め、再現してくださった。その箇所を出だしとして、曲ができ上がっていった。
まさに「紅の歌」は、私と青年部が師弟不二の心で創った〃正義の歌〃であり、ゆえに、歌に不滅の命が宿っていると確信している(大拍手)。

■ 一、広布流布こそ、世界平和への根本の大道である。
それを成し遂げゆく創価学会を護ってくださる、尊い皆様方のことを、私は、絶対に、永遠に忘れない。
きょうは、男子部の「牙城会」の方は、いますか?
今まで「牙城会」で頑張られた方は?
〈会場から「ハイ」と元気な声があがり、多くの友が立った〉
 本当に牙城会は、よくやってくれている。
また、よくやってこられた。
壮年部の「王城会」も、同じく「会館厳護」「学会厳護」の任に当たってくださって
いる。
一番、陰の立場で、誇り高く、使命を果たしておられる。
ありがとう!(大拍手)
 牙城会があったから、学会は護られた。
増上漫の幹部が護ったのではない。牙城会である。皆様の労苦を、私は、よく知っているつもりだ。
 どんなことも、爪の先ほどまでも、私は全部、心を配ってきた。
何を聞いても、見ても、その本質を見抜いて勝利への手を打ち、価値を創造していけなければ、世界広布の指導者にはなれない。
ゆえに、戸田先生の訓練は厳しかった。
一人一人の身だしなみや髪の乱れなど、細かなところまで見ておられた。時には雷鳴のごとき叱責が飛んだ。
 恐れをなして、離れていく弟子もいた。
「去る者は去れ!臆病者など、役に立たぬ。本物の弟子が一人いればいいんだ。そこから、何千、何万、何百万もの人材が出てくるのだ」
これが先生の確信であった。真の弟子は一人立った。学会には今、数多くの若き人材群が躍り出ている。

●小さなところに気を配る
一、指導者論の研究で著名なアメリカのグアンソン博士の言葉を紹介したい。
1995年(平成7年)1月、私は要請を受け、ハワイにある国際的な学術機関「東西センター」で講演した。その際、グアンソン博士も出席してくださった。
 博士は語るや「一般のリーダーは、組織が大きくなると、小さなことは他人まかせにしてしまう傾向があります。
しかし、組織が大きくなっても、小さなところにまで気を配っていけるのが真の指導者なのです」
 学会でいえば、組織の最前線で戦っている皆さん方に対して、幹部自身が、どこまで気を配っていけるかである。それが発展の鍵なのである。
 草創期は、組織も今のように大きくはなかった。全員が一人立って戦った。
しかし、組織がだんだん大きくなると、その上にあぐらをかいて、威張る幹部が現れてくる。何一つ偉くもないのに、自分が偉くなったように錯覚して、一生懸命に活路を開く最前線の戦いを当たり前のように思ったり、大したことはないと下に見るようになってくる。
 とんでもないことである。そこに破滅の原因がある。
人間の体も、足がなければ歩けない。目立たないところで支える人が大事なのだ。
どこまでも、「最前線で戦う人」が偉いのだ。
 地道に広布に励む「無冠の人」こそが偉大なのである。
何度も繰り返すが、幹部は絶対に威張ってはいけない。

■ 教育者は。学生や生徒を絶対に見下してはならない。
青年のためならば、何でもやらせていただこう ―― その決心がなければ、本当の教育者とはいえない。
 ずるい、要領だけの人生は、絶対に歩んではならない。そう戸田先生は、私に打ち込んでくださった。あれほど偉大な先生は、二度と出ないだろう。
大指導者論、人間の細微にわたる心のあり方を教わった。
戸田先生の薫陶ありて、私は今、広宣流布の指揮を執っている。

一、「恩知らずの人間より、恩を知る犬のほうがまし」矢崎源丸郎編著『世界のことわざ。-社会思想社)とは、ペルシャの格言である。
 恩知らずになるな、と戸田先生は厳しく指導された。
また、ドイツの哲学者カントは、こう指摘している。
「悪魔的悪徳は人間の悪さをはるかに超えた度合いの悪さをもつ。そうした悪さとして数えられるのは次の三つ、すなわち、嫉妬、恩知らず、他人の不幸を喜ぶ気持である」(御子柴善之訳「コリンズ道徳哲学「『カント全集20』所収、岩波書店)
牧口先生が法難の獄中で、最後までひもとくかれたのがカントである。戸田先生も、よくカントの哲学を引かれた。
 「嫉妬」が和合を乱す。「恩知らず」が仏法を破壊する。
私が会長を辞任した時も、絶頂期にあった学会の発展を妬む、卑劣な反逆者がいた。
悪の末路は厳しい。
 悪を見て見ぬふりをして、戦わない人間は永遠に悔いを残す。
悪に誑かされ、慈悲も師弟の精神もなくなれば、もはや仏法の世界ではない。二度とそうなってはならない。未来のために、これだけは言い残しておきたい。
 ともあれ、我らは元気に進もう! 皆さんが元気であることが、私は一番うれしい。
 戸田先生は厳として叫ばれた。
「権力というものは、一切を飲み込んでしまう津波のようなものだ。生半可な人間の信念など一たまりもない。死を覚悟して立ち向かって、権力に打ち勝つのだ!」
この心意気で進もう!
 末法は五濁悪世である。我らは、創価学会という民衆の「安全地帯」を広げるために勇んで戦おう!

●信心で団結せよ
一、戸田先生のご指導に、こうある。
「人間というものは、同じことを何度も言われなければ、自分の考えを変えないものだ。そこから、間違いが生ずる。だから、繰り返し、繰り返し、注意せよ」注意してこそ、過ちを避けられる。注意することが慈悲である。
先生は言われた。
 「会合で、調子に乗って、威張るな!一人で、ベラベラしゃべって、独演会になっては絶対にいけない」
 そういう人間がいたら、「もう終わりましょう」と言って、この指導を見せてあげればよい(笑い)。
さらに、戸田先生は語っておられた。
 「信心が同じであるがゆえに、互いに嫉むことなく、憎むことなく、相和して御本尊に仕えまつる。この精神を、和合僧の精神というのである」

■ ともに祈る。信心で団結する。これが広宣流布の同志だ。醜い嫉妬から同志を分断するのは、破和合僧の大罪である。
 戸田先生は、信心の実践為機関部を、常々戒めておられた。
「信心が、溜まり水のようにならないよう気をつけろ!
溜まり水は、動かないから腐ってしまう。
 幹部も絶えず注意するのだ。一番、気をつけねばならない重要な一点だ」と。
苦労を人に押しつけて、自分は動かない幹部、口先だけの幹部は必要ない、と先生は厳しかった。

●婦人部の皆様に 大福徳よ輝け!
一、戸田先生は婦人部の友を励まされた。
 「表層ではなく、根本の生命を見つめていくのです。
真実の生命を見つめれば、我々は、いつか仏になる身ではない。
我々の身が、そのまま仏なのです。どうか、堅い信心に立って、朗らかに、悠々と、永遠の幸福を打ち立てていただきたい」
 いつか将来、仏になるのではない。広布へ戦う、そのままの自分に仏の大生命が躍動するのである。

■ 婦人部の皆様は、永遠の大福徳を築いていただきたい。
そして青年部に、戸田先生は教えられた。
「人生は、マラソンのようなものだ。今は、貧しく、苦しい生活かもしれない。他の人がよく見える場合もある。
 しかし、妙法をきちっと信じ、一生涯、広宣流布に生き抜いていけば、必ず最高不滅の人生の幸福のゴールに行くことは、絶対に、絶対に、間違いない」
この大確信を若き皆様に贈って、私のスピーチを終わりたい。
ありがとう! 皆、元気でね!.どうか、体を大事にしていただきたい。
最後に、皆で題目を唱えたい。心に思ったことを祈ればよい。何でもいい。「裕福になるように」でも何でもいい。一生懸命、御本尊に祈るのだ。
祈っているその行動自体のなかに、自然のうちに、所願満足の境涯が輝いていく。それが妙法の力である。
〈SGI会長の導師で、参加者全員が唱題を行う〉
長時間、本当にご苦労さま! ありがとう!くれぐれも風邪をひかないように!

 海外から来られた皆さんは尊い方です。世界の広宣流布を実現しておられる。仏に等しい、尊い方々です。
 皆で最敬礼し、最大の感謝と最高の賞賛を捧げたい。
本当に、ありがとうございます! ご苦労さまです!
また、お会いしましよう!きょうは、お会いできてうれしかった!

皆さん、万歳!万歳! 万歳!サンキュー!(大拍手)