投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月22日(木)15時43分9秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-2-18 【婦人部・女子部最高協議会】

●いまこそ広布の地盤を広げよ
一、お忙しいなか、また寒いなか、ご苦労さま!
 きょうは、全国の婦人部のリーダー、東京、埼玉、千葉、神奈川、そして関東、東海道の婦人部の代表が集っておられる。
 皆様方をはじめ、わが使命の天地を駆けめぐる、尊き同志のご活躍の様子は、すべてうかがっている。いつも、本当にありがとう!(大拍手)
 さらに、女子部、女子学生部の代表も参加されている。
 今、全国各地で「青年・勝利座談会」が活発に行われている。青年が原動力となり、全員が「青年の心」で進みゆく創価家族の姿こそ、わが地域の希望の光だ。
 烈風が吹き荒れるような社会の状況である。しかし、大変な時の戦いだからこそ、大きく成長できる。広宣流布の地盤は、さらに強固になり、信頼が広がる──そう深く決意して、前進していただきたい。
 全国、そして全世界の婦人部・女子部の皆様方の尊きご健闘を心から讃えつつ、記念の句を贈りたい(大拍手)。

  春 近し
    寒風 涼しく
      梅 笑顔

■ 一、近代看護の母・ナイチンゲールは綴った。
 「正義は常に幸福であり、幸福に至る道なのです」(M・D・カラブリア他編者、小林章夫監訳、竹内喜・菱沼裕子・助川尚子訳『真理の探究』うぶすな書院)
 広宣流布という「正義の中の正義」の道を生きゆく皆様方の人生ほど、誇り高く、幸福なものはない。
 しかも、それは、今世のみの幸福ではない。妙法という宇宙の大法則とともに、どこまでも向上しゆく、永遠不滅の「常楽我浄」の道なのである。
 ナイチンゲールは、こうも記した。
 「世界は私たちが形づくるものであり、そこから逃避するものではないのです」
 苦悩渦巻く現実の社会から、逃げるのではない。嘆くのでもない。たゆまざる挑戦と行動によって、自らが、日々、新たな世界を築き上げていくのだ。
 御聖訓には「心の一法より国土世間も出来する事なり」(御書563ページ)と仰せである。
 大事なのは「心」である。戦う「魂」だ。そこから、すべての変革が始まる。
 今、この時を戦い、開いていく。使命あるわが人生を勝ち飾っていく。そのための信心なのである。
 私は、創価の太陽の母たち、広布の華の乙女たちの清らかな、そして強き祈りから、希望と勝利の大建設は始まると申し上げたい(大拍手)。

■ 一、私は、師匠に徹してお仕えした。
 戸田先生がおられるからこそ、広宣流布は実現できる。全同志が、幸福の道を歩むことができる。
 師匠を護ることが学会を護ることであり、広宣流布を進めることである。私は、そう深く確信していた。
 戸田先生の教えに背き、反逆していった人間は、この一点がわからなかった。
 要するに「自分が偉い」と慢心を起こし、師匠から離れていってしまったのである。
 私は今、未来を見据えて、万年の発展への道を築いている。永遠に学会が伸びていけるように、人知れず手を打っている。
 どうかリーダーの皆様は、広宣流布へ向かって、心を一つにして進んでいただきたい。師弟の道を、まっすぐに歩み抜いていただきたい。

●「行動」で決まる
 一、大事なのは「行動」である。
 私は、戸田先生のために命をかけて戦い抜いた。先生を護り抜いた。師匠に仇をなす人間とは、言論で徹底的に戦った。
 自分が偉くなろうとか、幸せになろうとか、そんなことは、まったく考えなかった。
 仏法の根幹は「報恩」である。先生のために戦いきって死んでいこう。師匠の大恩に報いるのだ。その思いで戦った。
 そして現実の上で、私は広宣流布を進めた。学会を発展させた。明確な「実証」を示した。
 「大作、お前がいてくれて私はうれしい」「本物の弟子をもって、私は幸せだった」──亡くなる前に、先生は、こう語ってくださった。私の永遠の誇りである。
 師匠が不当に罵られ、中傷されても、何の反論もできない。そんな情けない弟子であってはならない。
 私は、この決意で走り抜いてきた。
 仏法は厳しい。絶対の法則だ。
 本当に真剣に戦っている人には、無量無辺の功徳がある。
 御聖訓には「身はをちねども心をち」(同1181ページ)と仰せである。外見は立派に信心しているようであっても、心が堕落してしまえば敗北である。
 リーダーが率先して広布の最前線に飛び込み、同志と一緒に泥まみれになって戦っていく。これが学会精神である。

●『人生問答』で
 一、年頭から、私は小説『新・人間革命』の中で、松下電器産業(現・パナソニック)の創業者・松下幸之助氏との交流の思い出を綴らせていただいた。
 まことに懐かしい、そして忘れ得ぬ、人生の大先輩である。
 厳しい経済不況の今だからこそ、大実業家である松下氏の信念と哲学から学ぶべきことは多い。
 松下氏とともに発刊した往復書簡集『人生問答』は、中国語などにも翻訳され、各国の若き経営者からも、反響をいただいている。
 この『人生問答』の中で、松下氏から鋭く質問されたことがある。
 それは ──
 創価学会の急速な拡大には、まことに目を見張るものがある。武力も権力も用いずして、これほどの偉大な発展を遂げた例は、過去の歴史において、いかなる団体にも見なかった。学会の発展の要因は、一体、どこにあるのか、という問いかけであった。
 裸一真で自ら会社を興し、若き日より、苦労に苦労を重ね、世界に冠たる大企業を築き上げられた”経営の神様”からの質問である。
 私は、大きく四つの観点から率直に語らせていただいた。
◆ 第1は、「日蓮仏法を、正しく現代に生きた実践哲理として展開してきた」ことである。
 いかに優れた哲理、宗教であっても、時代性、社会性を無視して、教条的、独善的に用いたならば、大きな潮流を起こすことはできない。
 大切なのは、仏法を「生きた哲学」として現代社会に展開していくことである。
◆ 第2に、「学会は庶民に根差し、庶民から出発した団体である」ことである。
 庶民の一人一人が、正しき信仰によって目覚め、人間革命、生活革命、家庭革命を成し遂げ、見事な実証を示してきた。
◆ 第3に、「学会員が自らの体験と実証をもとにして、他の人々に働きかけるという『自行化他』の実践をたゆみなく続けてきた」ことである。
 信仰によって確かな実証を得たならば、隣人にも、友人にも、教え伝えていくことこそが、人間として本然の振る舞いである。利他こそ、宗教の生命といってよい。
 民衆が自発的に布教に立ち上がり、歓喜に燃えて折伏を行ってきたことが、学会を興隆させてきたのである。
◆ 第4に、「戸田先生という卓越した指導者を得た」ことである。
 戸田先生という師匠がいなれければ、学会の発展は、まったくあり得なかったといってよい。この稀有の師匠の指導通りに、師弟の道をまっすぐに歩み通してきたからこそ、学会は奇跡と言われる大前進を遂げたのである。
 こうした点については、松下氏も深く納得してくださった。
 これからも、この基本を大切にするならば、学会は勝ち進んでいくことができる。
 すなわち、要約すれば──
 1 「社会へ正しく展開する」
 2 「庶民の大地に根を張る」
 3 「他者へ生き生きと語る」
 4 「師弟の道を貫き通す」となる。

■ 一、忘れてならないのは、この4点のいずれも、最も真剣に実践し抜いてこられたのは、婦人部・女子部の皆様方だということである。
 ゆえに私は、この4点に加えて、「偉大なる女性のスクラムを大切にする」ことを改めて強調しておきたい(大拍手)。
 婦人部・女子部の活躍こそが、学会の大発展を成し遂げた。
 そして、これからも、大発展を成し遂げていく最重要の力である。
 フランスの歴史家ミシュレは、『フランス革命史』の中で、「女性は巨大な、真に不敗の力だ」(桑原武夫・多田道太郎・樋口謹一駅『フランス革命史』中公文庫)と洞察した。
 歴史家の眼は鋭い。本当に、女性の存在は偉大である。
 創価学会も、信心強き女性の力で勝ってきた。
 地位とか肩書とかで威張って、人にやらせるだけで、自分は何の苦労もしない──そういう男性にかぎって、いざという時は臆病だ。何もできはしない。
 大事なのは、女性である。
 特別な権威とか権力を持っているわけではない、平凡な一庶民の婦人たちが、師弟の心で、不惜の命で、懸命に戦い抜いてくださったから、学会は伸びてきたのだ。
 広宣流布は、女性で決まる。
 この尊き女性をいじめるような人間や組織は、いずれ、必ずダメになる。
 現実に戦ってくださる方を大事にしなければ、発展するはずはない。
 ともあれ、婦人部・女子部を、これまで以上に尊重し、大切にしていく。
 ここにこそ、これからの学会の拡大と勝利の鍵があることを強く訴えておきたい。

■ 一、もうすぐ希望の春が来る。わが人生の喜びの春へ、輝く勝利の創価の春へ、張り切って進もう!

    皆様の
     幸福うたわむ
        梅の花

 今、本部周辺でも、紅梅や白梅が、高貴な香りを広げている。
 女子部は広布の華である。妙法の華である。
 有名な御聖訓には、「我らの頭は妙である。のどは法である。胸は蓮である。腹は華である。足は経である。この五尺の身が妙法蓮華経の五字の当体である」(御書716ページ、通解)と、明快に仰せである。
 妙法蓮華経の意義は、幾重にも深い。
 頭を使うのだ。正義の勝利のために。仏縁を広げるために。
 語るのだ。「声仏事を為す」(同708ページ)である。生き生きとした声で、同志を鼓舞していくのだ。
 そして、心を尽くすのだ。心を使うのだ。皆が歓喜にあふれて前進できるように。
 また、法華経には、「因果倶時」の法理が示されている。その象徴が「蓮華」である。
 普通は、花が散ってから実がなる。しかし「蓮華と申す花は菓と花と同時なり」(同1580ページ)。花と実が同時に成長する。
 広布のために祈り、戦う、今の一念の「因」に、幸福と勝利の「果」は厳然と輝いているのである。
 ゆえに行動することだ。大目的のために。
 歩くのだ。民衆のために。同志のもとへ、足を運ぶのだ。
 妙法を唱え、弘めゆく人には、尊極の仏の生命が涌現する。
 尊き皆様こそが、妙法蓮華経の当体なのである。
 華のごとく、わが人生を開き、華のごとく使命の大輪を咲き薫らせていただきたい。

● 妙法に生きる人に悲嘆はない!
 一、ロシアの著名な法華経研究者であるヴォロビヨヴァ=デシャトフスカヤ博士は語っておられた。
 「生活環境は変わり、技術の時代、宇宙の時代を迎えています。
 すべてが新しい。
 ただ人間の生だけは、『生老病死』という変わらぬ法則に従って流れていきます。
 法華経の力を信じている人は、たとえ生活にどんな変化が生じても、人生を苦しみとは思いません。
 人生がどんな困難や苦しみを人間に与えようとも、法華経の教えに従っていくならば、恐れることなく、堂々と乗り越えていけるのです」
 妙法という大法則に生き抜く人生に、不幸はない。悲嘆もない。敗北もない。
 私たちは、生老病死という人生の根本課題を、一つ一つ打開し、「変毒為薬」して、「常楽我浄」の香風を広げながら、縁する人々と一緒に、絶対的幸福の軌道を悠々と進んでいけるのである。
 私と妻は、全国、全世界の婦人部、女子部の皆様の「健康和楽」と「幸福勝利」の前進を、毎日、真剣に祈り続けている。

● 「仏に誉められる境涯に」
 一、きょうも戸田先生の指導に学びたい。先生はよく言われた。
 「生活の上に、いろいろな試練が出てきても、負けてはいけない。
 どんなことがあっても、それは『護法の功徳力』によるものである。必ず全部、宿業が軽く転換できることは間違いない」
 また、健気に戦う同志を、こう励ましてくださった。
 「仏法の話をして、誰も話を聞いてくれなかったとしても、諸天善神が、聞いてくださっているよ。あなたを必ず護る」
 広宣流布のために戦う善き人を、諸天善神は必ず守護する。
 自分自身の生命には倶生神(人が生まれるときに倶に生ずるとされる神)がいる。常に、その人自身の行動を見ている。信心の上の、どんな努力も、苦労も、天は見逃さない。
 広宣流布という、最極の正義に生き抜く皆様方が、断じて護られないわけがない。

■ 一、さらに戸田先生は言われた。
 「広宣流布のために会い、勇敢に、誠実に仏縁を結んだ人は、未来において、その人が必ず自分の眷属となり、諸天となって、自分を護り支えてくれるようになるのだ」
 「よき友、よき同志に守られた人生は、絶対に負けない」
 まったくその通りである。
 また、自分自身が善知識になっていかねばならない。

■ 一、人に接する時には、ツンとした、冷たい態度ではいけない。
 焼きもちを焼いてはいけない。信仰においても、人生においても、一番、気をつけるべきことである。
 嫉妬の人は伸びない。妬んでばかりの人とつきあっても、何の得もない。
 ともあれ、同志を守ってこそ、リーダーだ。女性を尊重してこそ、紳士だ。多くの後輩を伸ばしてこそ、先輩である。
 それをはき違えて、女性に対して威張る男性、若い人をいじめる幹部が、もしも将来、出たならば、心ある皆さんが、勇気をもって戦うのだ。
 戸田先生は叫ばれた。
 「信仰の上に立って、目標を完遂して、凡夫に誉められるのではなくて、たえず、仏様に誉められる境涯になろうではありませんか」
 この気概で、胸を張って進んでいきたい。

● 同志を護り抜け
 一、戸田先生は、私と妻に言い残された。
 「学会員がいなければ、広宣流布はできない。大作と香峯子は、この尊い仏様である学会員を、生命の続く限り護ってほしい」
 私と妻は、このご指導通りに生き抜き、戦い抜いてきた。
 また、「真剣に、そして雄々しく戦いゆく同志を、最大に励まし護れ!」とも言われていた。
 同志の幸福を、広布の前進を、真剣に祈り戦うことだ。その時、仏に等しい力が、自分自身の中から湧き起こってくる。そして、自分自身も護られるのである。
 反対に、この正道を踏み外してしまえば」諸天善神から見放されてしまう。
 戸田先生は厳しくおっしゃった。
 「仏意仏勅の学会を私利私欲のために利用したり、大恩ある学会を裏切ったりした者は、必ずや諸天から裁かれる」と。
 自ら決めた、尊い誓願を、絶対に裏切ってはならない。
 仏法の世界は不思議である。因果の理法は厳しい。仏法の眼で見れば、すべてが明快である。

● 感謝と賞讃を
 一、リーダーの心構えについて、少々申し上げておきたい。
 広宣流布の前進において、無責任で自分勝手な、人まかせの心があってはならない。
 リーダー自身が苦しんでやり遂げたものだけが、立派に輝くのだ。
 中心者が要領を使い、楽をすれば、まわりも真似し始める。そうすると、広宣流布という民衆運動の”本体”がなくなってしまう。”格好”だけは動いていても、”中身”が失われる。
 責任者が苦労し、悩む。ともに戦う同志に対して、「ありがとう」「ご苦労さま」「本当によくやってくれました」と、深く感謝し、ほめ讃える。
 そうした誠実な振る舞い、真剣な言葉がなければ、温かな、血の通い合う世界ではなくなってしまう。
 どれだけ戦っても、ほめられない。激励の一言もない。そんなリーダーのもとでは、まるで”機械”のように扱われていると感じるかもしれない。
 「人間」は、どこまでも「人間」である。皆、等しく尊貴であり、かけがえのない使命がある。これを決して忘れてはならない。
 細かいことのように聞こえるかも知れないが、指導者の一分の隙、わずかな傲慢が、知らず知らずのうちに、尊い和合を壊していってしまう。未来のために、あえて申し上げておきたい。
 ともあれ、責任ある立場にありながら、自分白身が苦労を避けるて、自分はいい子になって、疲れないようにする。それで人材が育つはずがない。
 トップが自覚し、責任を持たなかったら、組織は崩れる。それが方程式である。

● 金剛不壊の「軸」
 一、いかなる時代になろうとも、学会の一番大事な精神性が「師弟」であることに変わりはない。
 増上慢が、仏法の一番の敵である。ましてや、わが師匠が大難を受けているにもかかわらず、腹の中で喜んでいるような者を、私は、絶対に許さなかった。
 師弟の精神を護らずに、広宣流布ができるわけがない。
 師弟こそ、あらゆる難を勝ち越える、金剛不壊の”軸”であるからだ。
 きょうは、この一点を皆さんに伝えておきたい。
 師弟なき学会は、前進の”軸”がないに等しい。
 皆様が「師弟」の精神を護っていけば、必ず素晴らしい指導者が湧き出てくる。その未来を、私は確信している。
 私も、もう一度、新たな革命を起こすぐらいの決心で、戦っていく。若々しい心で、一緒に進もう!(大拍手)

■ 日蓮大聖人は、「不惜身命」の信心を、母の慈悲に譬えて教えられた。
 「関目抄」には「正法を護ろうとするならば、貪女がガンジス河にあって、わが子を愛念するがゆえに身命を捨てたごとくにしなさい」(御書233ページ、通解)との涅槃経の一節が引かれている。重要な意義が込められた御文である。
 母が子を護らんとしたように、正法を護り抜きなさい──こう大聖人は教えられた。そこにこそ、わが境涯を開く要諦がある。

 一、そしてまた、大聖人は記されている。
 「今、日蓮は去る建長5年(1253年)4月28日から今年弘安3年(1280年)12月に至るまで、足かけ28年の間、他のことは一切なく、ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけである。
 これはちょうど、母親が赤子の口に乳をふくませようとする慈悲と同じである」(同585ページ、通解)

■ 大聖人は、立宗を宣言されて以来、いかなる大難も乗り越え、勝ち越えられながら、末法の民衆のために、妙法を弘め抜かれた。
 その御心は、母親が赤ちゃんを育てる慈悲の心と同じだと仰せなのである。
 わが婦人部の皆様方は、まさしく、この御本仏の御心に連なって、妙法を、粘り強く、誠実に、語り弘めてこられた。
 わが創価学会には、婦人部の皆様方の慈愛の光が満ちている。
 だから、強い。だから、明るい。
 だから、悩める友を温かく包む深さがある。

● 仏縁を広げよ!
 一、あの昭和27年(1952年)の「2月闘争」の折にも、婦人部の皆様方が、私とともに強盛なる信力、行力を奮い起こして立ち上がってくださった。そこに、厳然たる仏力、法力が湧き出たのである。
 戸田先生は、「勇気」が「慈悲」に代わると教えてくださった。
 時代の闇は深い。悩める友は、あまりにも多い。今こそ、太陽の大仏法を、勇敢に、快活に、大確信をもって語っていきたい。
 対話を広げた分だけ、仏縁は広がる。
 大聖人は仰せである。
 「信心というのは、特別なことではないのです。妻が夫をいとおしく思うように、夫が妻のために命を捨てるように、親が子を捨てないように、子どもが母親から離れないように、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを信心というのです」(同1255ページ、趣意)
 実にわかりやすく、信心のあり方を教えてくださっている。
 「母の心」のごとく、正法を護り、正義の師弟を護り、友を励ましていくことだ。
 そこにこそ、真実の信心の歓喜が漲る。広宣流布の希望の前進が生まれる。

■ 一、仏の説法を「師子吼」という。
 仏典には、「最勝の咆哮(叫び)」「恐れなき咆哮」「無比の咆哮」が師子吼であると記されている。
 大聖人は、女性の門下である千日尼に、こう仰せになられた。
 「一匹の師子王が吼えれば、百匹の師子の子は力を得て、諸の烏や獣は皆、頭が七つに割れる。
 法華経は師子王のようなものである。一切の獣の頂に立つ」(御書1316ページ、通解)
 リーダーの確信ある声の響きは、友を勇気づけ、魔を打ち砕く。正義の勝利へ、威光勢力を倍増させる。

● 人を結べ! 心を結べ!
 一、「芸術には人格的偏見も、国境もありません」とは、パブロワの揺るがぬ信念であった。
 彼女が、戦乱に苛まれた世界を回って、芸術という”平和の武器”をもって、人々を結んでいったことは、有名な史実である。
 ”平和の大使”となって、困難な地域へも、わが身を惜しまず、勇敢に足を運んだ。
 本年、開港150周年を迎える横浜にも、1922年に到着し、日本で公演を行っている。
 彼女は訴えた。
 「軍事とか、条約とか、同盟とか、軍のお偉方とかいうものに対しては、何の信頼感も持っておりません。でも、世界のコミュニケーションをはかることがどれほど大切なことかということだけは、痛感しております」
 そして、「世界中に真の同胞愛が生まれる日」こそ、「私たち芸術家の輝かしい勝利の日になる」と確信を込めて語り、こう結論する。
 「『この美しいものを創り出した国の人々は、私の敵ではありえまい』
 これが、芸術というものが到達すべき必然的ゴールなのであります。なぜなら芸術、相互理解、博愛、これらはすべて根本的には同じものだからなのです」
 ここに芸術交流、文化交流の意義がある。
 人を結べ! 心を結べ!──それが、真実の文化の精神なのである。
 私が、多くの反対もあるなか、あえて民音(民主音楽協会)を創立したのも、ただ世界平和を願う一心からであった。
 現在、民音創立45周年を記念して、私の友人である、世界最高峰の振付家ジョン・ノイマイヤー芸術監督が率いるドイツ「ハンブルク・バレエ」の民音公演が、日本の各地で始まっている。
 民音の交流は、今や、海外100カ国・地域に広がった。
 いつもいつも、陰で支えてくださっている、尊き民音推進委員の皆様方に、この席をお借りして、心から御礼を申し上げたい(大拍手)。

● 梅の花のごとく
 一、ローマの哲学者キケロの言葉は味わい深い。
 「幸いのきわみを尽くす者とは、ひとえに自分だけを恃んでいる者のことです」(水野有庸訳「ストア派のパラドックス」、『世界の名書13』所収、中央公論新社)
 運命を切り開くのは自分だ。戸田先生は「自分自身に生きよ!」と言われた。幸福の泉は、わが胸中にある。

      厳寒に
        勝ち誇りたる
          梅の花

 勝つための人生だ。
 勝つための仏法だ。
 仲良く、朗らかに、声を出し合い、声をかけ合いながら、皆が健康第一で、自分自身の勝利へ向かって前進することを決意し合い、記念のスピーチとしたい。
 どうか風邪など、ひかれませんように!
 お元気で!(大拍手)